藤田昌志 比較文化学のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

Melody Fair - Bee Gees 1971   2026.10.11 日

Melody Fair - Bee Gees 1971 歌詞 対訳 AI による概要 ビー・ジーズの「メロディ・フェア」は、1971年の名作イギリス映画『小さな恋のメロディ』の主題歌として世界的な大ヒットを記録しました。この曲は元々1969年のアルバム『オデッサ』に収録されていたものです。 当時の1970年代初頭は、大人たちの価値観や古い教育制度に対する反発、そしてベトナム戦争などの泥沼化を背景…

大正教養主義   2026.10.10 土

                大正教養主義 片山杜秀 近代日本で国家を超えた連帯が模索されたのが大正デモクラシーの時代で、例えば大正教養主義では「普遍への到達」ということがしきりに言われました。「普遍」とは民族を超えるような人類や抽象的人間一般のことです。哲学では普遍的な道徳を論証するようなカントが当時の必読書でした。その背景には第一次世界大戦後の国際協調路線もあったでしょう。しかし世界大恐慌…

さらば恋人 堺正章  2026.10.9 金

さらば恋人 堺正章 AI による概要 堺正章さんのソロデビュー曲「さらば恋人」は、1971年(昭和46年)5月に発売されました。所属していたザ・スパイダーズが解散し、GS(グループ・サウンズ)ブームが終焉を迎える中、歌謡界の職業作曲家(筒美京平)とフォーク・クルセダースの作詞家(北山修)という異色のタッグにより誕生した歴史的名曲です。 [1, 2, 3] この楽曲が生まれた時代背景には、以下のよ…

安岡正篤 ④   2026.10.8 木

                   安岡正篤      安岡正篤 ④  それでは乱世で下々にできることは何か?  「最高我」を仰ぎながら人格を陶冶することだけである。安岡という下々の一人にできることは、日本国民の人格の陶冶に、とりわけ「官」の倫理的自覚を高めることで気長に貢献すること以外になかったのだ。  下からの北一輝などの右翼の革命の企てが挫折して、退場した後に、下々は絶対に革命を起こして…

鶴田浩二 傷だらけの人生   2026.10.7 水

鶴田浩二 傷だらけの人生 AI による概要 鶴田浩二の『傷だらけの人生』(1971年発売)は、高度経済成長の光から取り残された大衆や学生運動の挫折感を背景にヒットしました。戦争体験(戦中派)の哀愁を背負い、自身の愚直さを嘆く内容が、混沌とする昭和の時代の空気感と共鳴しました。 [1, 2, 3, 4] 1970年代初頭の日本は、急激な経済発展の一方で公害問題や激しい学生運動、ウーマンリブなど社会…

安岡正篤 ③  2026.10.6 火

                  安岡正篤      安岡正篤 ③  三木清より一つ年若で、林達夫と第一高等学校で同期だった安岡は、ポスト教養主義の中で内面へ沈潜するか、外面の客観的認識に徹するか方路を選択しなければならなかった。が、安岡には漢学や文人との付き合いという「型」が豊富に残っていて、それだからこそ教養主義や人格主義の右翼化という奇妙とも言えるベクトルを探求することになった。  安岡…

安岡正篤 ②  2026.10.5 月

      安岡正篤    安岡正篤 ②  1926年(大正15)3月、金鶏学院を創設し、師と弟子が直接、出会って、人格を磨き合うことを最大事とした。制度よりも精神を立派にすることを重んじたので、人から口先だけで具体性は何もないと罵倒されもした。  唐木順三は『現代史の試み』で森鴎外を援用し、大正とは「型」(ドグマ)の喪失の時代だと確信し、それをもたらした「広い意味のヒューマニズム」が白樺派、知…

また逢う日まで 尾崎紀世彦 2026.10.4 日曜日

また逢う日まで / 尾崎紀世彦 (歌詞入り) AI による概要 1971年にリリースされた尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、従来の湿っぽい演歌調から脱却し、ダイナミックな洋楽的サウンドと「対等な別れ」を描いた詞が時代と合致。マクドナルド日本1号店が銀座にオープンするなど、高度経済成長期におけるアメリカナイズされた明るくモダンな世相を象徴する大ヒットとなりました。 時代背景と誕生の経緯 尾崎紀世彦…

安岡正篤 ①    202610.3 土

                  安岡正篤    安岡正篤 ①  1898年(明治31)大阪の船場順慶町に生まれ安岡は大坂郊外の四条畷で育った。1916年(大正5)安岡は第一高等学校に進み、独文学と西洋哲学に傾倒したあげく、中学時代からたたき込まれた漢学を再発見して東洋に回帰するという近代人にありがちな道を歩む。1919年には東京帝国大学法学部政治学科に進み、『日本及日本人』等に東洋思想研究、…

真夏の出来事 平山三紀  2026.10.2 金

真夏の出来事 / 平山三紀 (歌詞入り) AI による概要 平山三紀の『真夏の出来事』は1971年(昭和46年)5月にリリースされました。当時はマイカー普及率が約25%という時代であり、「彼の車に乗って真夏の夜を走り続ける」という歌詞のシチュエーションは、当時の若者にとって憧れのデートスタイルそのものでした。 [1, 2] 橋本淳の作詞、筒美京平の作・編曲によるこの楽曲は、高度経済成長期のまった…

「口舌の徒」安岡正篤 やすおかまさひろ 2026.10.1 木

                 安岡正篤      「口舌の徒」安岡正篤 やすおかまさひろ  世の中を変えようとしてもうまくいかない。それなら変革は先送りにする。あるいは人任せにする。やる気のなさそうに見えるかもしれない態度を正当化し筋を通す。そういう考えは本音に表れ、その時代の左翼思想の中に重要な一部を占めた。その一部の主と目されるべきなのは安岡正篤だろう。  安岡正篤。戦後、ずっと「歴代首…

北の宿から 都はるみ   2026.9.30 水

北の宿から 都はるみさんの歌唱です AI による概要 1975年12月に発売された都はるみの『北の宿から』は、激動の昭和から安定期へと移り変わる時代背景の中で生まれました。従来の「うなり節」を封印し、情感豊かに女心を歌い上げたこの曲は、オイルショック後の世相に寄り添い、国民的大ヒットを記録しました。 [1, 2, 3] 発売の時代背景とヒットの理由 1. オイルショック後の陰鬱な世相と新しい女心…

唐・新羅・渤海と日本   2026.9.29 火

             唐・新羅・渤海と日本  安史の乱及び新羅征討計画以後の日本の外交はどうであったか。  唐との関係は安史の乱から14年後、遣唐使が派遣され、唐からも使者が派遣されてきた。互いに安定した関係を求めていた。しかし、遣唐使の人数、金銭の支給が制限され、なりても減っていった。  新羅との関係は冷え込んだが、貿易を中心とするものに変化しつつ関係は続いた。もっとも779年(宝亀10)…

新羅・渤海と日本 ③   2026.9.28 月

          新羅・渤海と日本 ③  758年(天平宝字2)、渤海使によって安史の乱の第一報がもたらされると、朝廷は大宰府に防衛体制の施策を命じ、遣唐使を派遣して唐の情勢を収集しようとした。  藤原仲麻呂を首班とする朝廷は新羅に対する征討計画に踏み切り、権力基盤を強固なものにしようとしたが、762年(天宝宝字6)11月以後の早い時点で中止となったようだ。  中止の最大の要因は朝廷内部での権…

時の過ぎゆくままに 沢田研二   2026.9.27 日

時の過ぎゆくままに 沢田研二 AI による概要 沢田研二の「時の過ぎゆくままに」(1975年)は、主演ドラマ『悪魔のようなあいつ』の主題歌として誕生しました。作詞・阿久悠、作曲・大野克夫による哀愁漂うメロディと退廃的な歌詞が、当時の高度経済成長からオイルショックを経て虚無感が漂う世相と見事に合致し、大ヒットを記録しました。 [1, 2, 3, 4, 5] 1975年当時の時代状況と背景 狂乱物価…

新羅・渤海と日本 ②   2026.9.26  土

              新羅・渤海と日本 ②  734年(天平6)来日した新羅使が自国を「王城国」と改めたことを告げると、朝廷は新羅の使者を礼遇することなく帰国させた。736年(天平8)、日本の使者が新羅を訪れると新羅側は使節の受け入れを拒否するという対抗手段に出た。翌737年、遣新羅使が帰国して、新羅の非礼を報告すると、聖武天皇は貴族、官人に意見を求めた。中には新羅討伐論も出て、こののち両…

ひとりじゃないの 天地真理   2026.9.25 金

ひとりじゃないの 天地真理 1972年日本歌謡大賞 AI による概要 1972年(昭和47年)発売の天地真理「ひとりじゃないの」は、沖縄返還や日中国交正常化など明るいニュースの一方で、学生運動の終息や世相の閉塞感が漂う時代背景の中で大ヒットしました。人々の心に寄り添う親しみやすさと「真理ちゃんスマイル」が、国民的癒やしとして熱狂的に支持されました。 [1, 2, 3, 4, 5] 1972年の時…

新羅・渤海と日本 ①  2026.9.24 木

               新羅・渤海と日本 ①  八世紀の奈良時代に日本が国交を結んでいた国は唐・新羅・渤海の三か国だった。  渤海は唐と武力衝突をすることもあることから、基本的にに日本と対等で遣使を行いながらも比較的柔軟な姿勢を示した。これに対して、新羅は七世紀の後半、唐と連携して百済と高句麗を滅ぼし、日本を白村江の戦で退けた。新羅は唐と対立し、吐蕃の侵略に対応するための唐が朝鮮半島から撤…

思えば遠くへ来たもんだ 海援隊   2026.9.23 水

思えば遠くへ来たもんだ 海援隊 AI による概要 海援隊の楽曲「思えば遠くへ来たもんだ」がリリースされたのは1978年(昭和53年)です。作詞を手掛けた武田鉄矢氏が、福岡県から上京して音楽活動に没頭する中で、故郷を離れて過ごした年月と自身の現状を重ね合わせて生み出した、郷愁と青春の葛藤が背景にある楽曲です。 アイ・ティ・イノベーション +1 時代背景と作品の位置づけ 高度経済成長の終盤(1970…

戦争が「国民」を生んだ    2026.9.22 火

      国家は領域確定のために軍事力を持たなければ成り立たない。             戦争が「国民」を生んだ   憲法や議会が作られただけでは「国民」は生まれません。「国民」形成の大きな契機は国外にありました。  1894年(明治27)、日清戦争が勃発し、日本は清から巨額の賠償金を得て、工業化を進め、日本は「アジアの近代国家」とみなされるようになります。約24万人が動員され、17万人以上…