藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日中漢字同形語から思うこと


日中漢字同形語
  日中漢字同形語には漢字同形同義語と漢字同形異義語の二つがある。前者は、「来」「同」で、厳密には違うところもある(たとえば中国語の“来”は英語の come  と同じような、I'm  coming    と同じ用法もある)が、それは置く。後者は中国語学習の初級でよく取り上げられる話題で、“老婆”“手紙”“怪我”などがそうである。日本語では、順に「妻、奥さん」「トイレットペーパー」「けが」の意味である。最後の中国語“怪我”の日本語の意味は「私をとがめる」である。日本語と中国語の誤解として、以前、うんざりするほど挙げられたのが次のような例である。工事現場で中国語母語話者が次のような標語を見て日本人の几帳面さにびっくりくりくりクリっくりーしたという話である。“油断大敵,注意一秒,怪我一生”。日本語の意味は「ちょっとした注意を怠ったら、けがをするから、気をつけよう」というものだが、中国語母語話者は次のような意味にとる。「油がちょっと途絶えてもいけない、少しでも私が注意しなかったら、私を一生、とがめてください」。これは漢字同形語の連続でも意味が日中間で全く違うということである。日本語の「怪我」は当て字であろう。   
 こういう当て字は江戸時代に爆発的に増加した。「けが」を「怪我」と漢字で言ったほうが格好良かったのである。今、「ダイバーシティー」とか「マウントする」とか言っているのと同じである。昔、漢語、今、英語。そういえば大阪の「和泉」は「泉」でいいのになぜ「和泉」にするかというと、その方が格好いいからである。『懐風藻』に出ている。国家が二字漢字を地名使用で推奨したのである。その方が格好いいから。感性文化の日本文化。男子学生は「かっこいい」かどうかを一番気にし、女子学生は「かわいい」かどうかを一番気にする。
 日中平和友好宣言では、田中角栄、当時の日本の首相がスピーチで、中国に過去に「多大な迷惑をかけた」と言った「迷惑」の語について周恩来からクレームがついた。“迷惑”とは中国語で「水を不注意で人にかけて「すみません」と謝る程度の意味だ」、“迷惑”とは何事か!と血相変えて周恩来がかみついた。これについては、後日談があり、田中角栄が毛沢東に会った時に、毛沢東が田中角栄に『楚辞集注』(『楚辞』の注釈書)を贈り、その本の中に「迷惑」の意味に四つあり、いろいろな意味が「迷惑」にはあるので、気にしませんよという毛沢東の気持ちを表したプレゼントであったということである。少なくとも現在、中国ではそういう解釈となっている。何か中国にたしなめられているようで、やはり中国は・・・・となんとなくモヤモヤもするが、間違ったのは日本の方だから潔く間違いを認めようか。
 私の過去の中国語、日本語教育両方の実践、経験から言えることは、漢字の表記を練習する必要がないだけ便利なだけで、日中漢字同形語はそれ以外、相手の言葉を勉強するのに何の役にも立たないということである。「筆談」が可能なのは漢文を書ける教養のあった、日清戦争前の両国知識人の間での話。日清戦争の後、日本は漢文を捨てて、ドイツ語などを学んだ。大学でもそうだ。もっとも、内藤湖南のような碩学もいたが、少数である。高山樗牛などは日清戦争後、率先してあれほど賛美していたシナ文学排斥論をぶちあげている。
 相原茂先生の「中国語発音良ければ半ばよし」という名言がある。
 中国語、日本語学習者 加油!(頑張って!)       私も“加油”。


                      2022.1.19   水

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