藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

小説とはなにか

小説とはなにか
 小説は西洋近代に生まれた。個人が密室で書いたものを個人が密室で読むのが小説の基本である。個人が前提である。西洋近代は産業革命による物質主義、科学主義の蔓延から社会進化論によって殖民地を作る帝国主義が吹き荒れた時代である。同時に個人主義の時代でもある。かつての共同体は崩壊し、人々は対立・闘争の社会、都市で生きていかなければならなくなった。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ。金がすべての時代が到来した。「麗しのアジア」がすでに無いことを知りつつ、岡倉天心はアジアの美の使徒になろうとした。
 日本はアジアで唯一、西洋化してアジアモンロー主義、帝国主義によって、天皇を頂点とする「忠」の階級秩序、八紘一宇、新秩序をアジアに建設しようとしたが、皮肉にも東アジアの反日運動によってそれは潰えさる。
 小説は、日本では、家でこっそり読む息抜き。戯作の伝統に連なる娯楽である。それも個人を前提とする愉楽の一つであることに変わりはない。中国の載道と言志の伝統は日本の文学にはなく、特殊な私小説という事実と創作の混同を生んだが、それは日本の自然主義からして、西洋の自然主義と似て非なる内面暴露を内容とするものであったことを考えれば諒解可能である。伝統的女流日記文学の影響でもあろうか。
 小説は共感を基礎とする。読者がいなければ、小説は成り立たない。ベストセラー作品には、作者の、読者に読ませるための、様々なサービスが行われている。そして、さりげなく、魅力的に読者を引き込む。ここに小説の秘密の鍵がある。すべての人気のある小説、映画、絵画の秘鑰(ひやく)=秘密の鍵🔑がある。「恋愛は人生の秘鑰なり。」北村透谷。読者は作家に小説を読まされているのである。作家は敏感な感性で時代の空気を吸い、読者にそれを分かりやすく伝えるのである。「文学とは今だ明らかならざる情調を明確にして提示する行為である」コリングウッド。「詩人は先覚者である」と魯迅はいい、『魔羅詩力説』を書いた。それは中国伝統の載道主義と言詩を化学反応させ、中国救国を実現しようとする極めて中国的な文学観念の表出であった。「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり。」魏文帝 。


          2022.1.22   土

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