『菊と刀』第一章 研究課題―日本
第一章 研究課題―日本 では、日本人に関してこの七五年来、書かれた記述には「世界のどの国民についてもかつて用いられたことのないほど奇怪至極な「しかしまた」の連発が見られる」(四二)ことが最初に述べられている。曰く、日本人は礼儀正しいと同時に、「しかしまた」不遜で尊大である、固陋(ころう)であると同時に「しかしまた」どんな新奇な事柄にも容易に順応する、忠実で寛容であると同時に「しかしまた」不忠実で意地悪である、美を愛好し菊作りに秘術を尽くすと同時に、刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する。国民としての日本人(複数)には礼儀正しい人々もいれば不遜・尊大な人々もいる。これはアメリカ人でもドイツ人でも同じようなものであろう。したがって個人としての日本人(単数)がときに礼儀正しく、ときに不遜・尊大であることをベネディクトは強く意識したのであろう(四三)。裏を返せばベネディクトは「非現実的な人間性の一元論」(四四)に固執した。その観点からすると、日本人(単数)は不可解であった。ベネディクトは文化は「パーソナリティをひとまわり大きくしたもの」と見立てうることを示したかったと言う(四五)。ベネディクトが人間性の一元的理解を当然としたことについては①敵国の国民の性格が持つ矛盾を悪意をこめてあげつらう時代風潮がありそれは人間性の一元的理解を無批判のまま前提としており、ベネディクトはその風潮に押し流された。②それまで研究対象としてきた北米インディアンの部族社会の成員の社会的性格が比較的、均質にみえ、その研究過程で培われてきた発想をそのまま日本研究に持ちこみ、日本人の矛盾を強く意識することになった。③アメリカの社会科学の知的伝統においてはヨーロッパのそれと異なり、人間性の一元的理解が二〇世紀に入っても有力であり、ベネディクトもその影響下にあった(四六)―と三つの説明のしかたが可能であるが、日本の「体系は全く独特のものであった。それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的であった―日本の長所も短所も含めて」(四七)と日本について述べる根底には当然、比較文化論的な視点が存在し、その比較の際のもう一つの極、基準は西欧、アメリカであったと考えられる。事実、ざっと思いつくものでもベネディクトは第五章で「気前のよさ」の日米間の相違(一四一頁)について、第九章では日本と西欧間における肉体と精神の闘争観念の有無(二三一頁)について、第十章では道徳の基礎としての「恥」と「罪」の日米間の相違(二七三―二七四頁)について、第一○章では「自己犠牲」、「抑圧」と「自己訓練」の日米間の相違(二八五頁)について、同じく第一一章では「無我」(二八八頁)、「死んだつもりになって生きる」(三○五頁)習慣を持つ=(意識を排除する)日本人と意識、理性を尊重するアメリカ人(三○四―三○五頁)の相違について考察している。この問題は諸文化相対主義と自文化絶対主義のどちらをベネディクトがとったかという問題に発展するのであるが、識者は「ベネディクトは『菊と刀』のなかで、日本文化をアメリカ文化、さらにはそれを含む西洋文化と対比しつつ、諸文化相対主義の原則をよく守りつづけたが、自文化絶対主義の方向に何度か逸脱したのであった。」(四八)と言う。
その他、第一章では、「私は何百もの個々の事象が、どんなふうに総合的な型(パターン)に分類されているか、という点を重視した」(四九)と言うように「文化の型」を重視しているが、その型への分類のために、ベネディクトは「その国の人たちの習慣や仮定に関する質的研究」(五〇)を組織的に行うことを重視し、統計的方法を重視しないことを明言する。既述のように(詩人としての)「直感力」と「科学的一般性」の両立が問題となる。
又、直接面接(五一)調査はできたが参与観察調査を行うことができなかったとベネディクトは述べているが、そのために①人間はすること(行為)より、言うこと(言葉)で倫理的になりやすく、結果、ベネディクトは日本人を過剰に倫理的人間としてみたのではないか②ベネディクトがインタヴューイーとした在米一世の日本人の価値意識は同時代の日本に住む日本人より「一世代か二世代まえの日本人の価値意識」をより純粋に、より多量に残しているということがないだろうか(五二)との疑問が生じるのは否めない。その意味でベネディクトの日本人像が「過剰に倫理的で」「かなり古風なもの」であり、「現実の日本人像よりも新渡戸や鈴木が説くところにより調和的であったと推測される」(五三)と指摘されるのは妥当なものであろう。
2021.9.2 木
〔注〕
(四二) ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳(二○○五) 一一頁。
(四三) 副田(一九九三)三四頁。
(四四) 副田(一九九三)三四頁。
(四五) マーガレット・ミード著/松園万亀雄訳(昭和五二)七三頁。
(四六) 副田(一九九三)三四―三五頁。
(四七) ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳(二○○五)三三頁。
(四八) 副田(一九九三)四三頁。
(四九) ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳(二○○五)二三頁。
(五○) ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳(二○○五)三一頁。
(五一) ルース・ベネディクト著/長谷川松治訳(二○○五)一六頁。
(五二) 副田(一九九三)四○○頁。
(五三) 副田(一九九三)四○一頁。
〔引用文献・参考文献〕は、今までと同じなので、以下、略す。
文章は、拙著(2018)第五章 に少し変改を加えたものなのは、今までと同じ。これについても以下略す。ゴシック体部分は重要箇所。