藤田昌志 比較文化学のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

勝海舟④  和戦両様  2   2024.8.3  土曜日

比較文化学的

         

              勝海舟
    勝海舟④  和戦両様  2
 1868年、慶応4年、3月13日、江戸総攻撃の2日前に駐日イギリス公使パークスの意見書が西郷のもとに届く。そこには「徳川が恭順の意を示しているのに、慶喜への厳罰は、国際法上あり得ない」とあった。そして、その意見書には、当時のイギリスにとって江戸が丸焼けになれば、生糸の供給地としての生糸貿易の拠点、横浜の機能もストップしてしまい、イギリスは国益を大きく損なってしまうという背景があった。
 こうしたうえで、勝が西郷に直談判を持ち掛け、二人は14日、江戸城総攻撃の前日に薩摩藩邸で会談を行い、勝が自分たちは戦う準備ができている、交渉に応じるようにと伝えると、西郷はそれを呑んだのであった。(pp.94-95)
             磯田道史、NHK「英雄たちの選択」制作班(2018)



   ノート
   和戦両様で、和を取らせるように持っていく勝は胆力がある。西郷も人間が大きい。二人とも死線を何回か超えるような経験をしている。そのことが江戸を火の海にすることをから救った。当時の武士には西洋のノブレス・オブリージュに類するものがあったということであろう。もちろん、のるかそるかで、武力で来るなら武力で対抗してやろうじゃないか、後のことなど知ったことかというニヒリズムがあったのも事実だろう。どちらに転んでもやるだけのことをやるだけだという肝の座ったところが二人にはあったのは間違いないであろう。今の日本人には、そうした肝の座ったところはなくなってしまったようだ。この80年のアメリカポチ歴史のなせるわざだろう。


                            2024.8.3    土曜日

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