藤田昌志 比較文化学のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本美術の流れ①  西洋美術の本質的な性質はヴィーナス    2024.8.5  月

比較文化学的

      

          ミロのヴィーナス  
    日本美術の流れ①  西洋美術の本質的な性質はヴィーナス 
 西洋美術の本質的な性質はヴィーナスである。ヴィーナスはあくまで人間の客観性を描写している。肉体性といったほうが正確かもしれない。それが実に写実的に正確に表現している。もう一つ、彼らが表現しようとしているものは非常に官能的なものである。
 ヴィーナスというのは、結局、ギリシャ的、もしくはクラシックということになる。中世になると、クラシックなものはなりをひそめるが、中世に現れてきた一つの芸術としてマリア信仰がある。ギリシャにおけるアフロディーア(ヴィーナス)とエロスの関係は中世ではマリアと幼いキリストの関係に形を変えている。
 ルネッサンス以降は、クラシックが蘇ってきて、主題的にはギリシャ的神話が盛んに描かれた。男性像についても、静物や風景においても、同じく客観的、写実的であり、理想的な官能美を志向していた点で、ヨーロッパの美術はヴィーナス性を持つといってよい。
                                                                                                                          (pp.12-14)
                            源豊宗(みなもと とよむね)(昭和52)『日本美術の流れ』思索社



   ノート
 「ギリシャにおけるアフロディーア(ヴィーナス)とエロスの関係は中世ではマリアと幼いキリストの関係に形を変えている。」前代のものは形を変えて、次の時代に温存される。比較文化学の基本である。人は親父の世代の文化に反発しながらも、それを形を変えて受け継ぎ、新しいものを創造しようとするが、親父と同じようなことをしている者も多く見受ける。江戸時代の主君への忠は、明治時代には天皇への尽忠報国へと形を変えて温存された。1991年の『教育勅語』は、「天皇のために死ね」「それが日本人の名誉である」ということを謳っている。『教育勅語』は単なる道徳を説くものではない。竹田は大ウソつきである。馬鹿な民衆ほど、そうした排他主義に簡単に騙されてしまう。大した努力もせず、運が悪い、不当な扱いをこの社会で受けていると思う者は、差別できる存在を見つけて、それらをいじめることに暗い情熱を注ぐことがある。そういう人間が増えると、閉鎖的な時代がまた、到来してしまう。
 人は理念として自由や平等を求めるべきである。アメリカの民主党の問題は、それが形骸化していることだ。だからと言って、拝金主義の権化のようなトランプが大統領になっても殺伐とした世界になるだけだ。保護貿易主義の末路は、ブロック体制による世界の分割で、その悲惨な末路はすでに第二次世界大戦で我々は体験済みではないか。
  
                           2024.8.5     月曜日

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