藤田昌志 比較文化学のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

2024.8.16 京都新聞夕刊 現代のことば 「失明得暗」 広瀬浩二郎 2024.9.16 月

比較文化学的

             広瀬浩二郎氏
 2024.8.16 京都新聞夕刊 現代のことば 「失明得暗」広瀬浩二郎
 13歳で失明した広瀬氏は、失明と得暗(とくあん。暗を得る。広瀬氏の造語)は対立概念ではなく、表裏一体、その間には多彩な見え方の人、遠視・近視・弱視などが分布していると言う。
 近代以降、人類は「より多く、より早く」情報を入手、伝達できる視覚に過度に依存するようになり、近代化の申し子である医者は、見えない・見えにくいを見えるようにする一方向の見方にとらわれてきた。逆に、見えるから見えにくい・見えないへと移行してきたのが自分だと言う。自分が伝えるべきは、見える(治る)・見えない(治らない)を一方向ではなく、双方向・多方向のベクトルで理解する世界の見方なのではないか。氏は現在「さわる展示」を開発・普及する活動に取り組んでいる。
 「世界は君の分、僕の分だけじゃない。まだまだ余分があるのだ」と氏は言う。
 国立民俗博物館教授・文化人類学 広瀬浩二郎  内容要約・文責 筆者


    ノート 
 近代の基礎には「所有」の明確化がある。実効支配されていない土地・海・空は先に軍事的に実行的支配をした人・国のものになる。帝国主義はそうやって世界を分割していった。竹島問題は日本からみたら、合法的な実行的支配済み、韓国からみたら植民地支配の始まりの象徴的事件。実務と倫理で話がかみ合わない。福島原発処理水放出も日本が見たら科学的に問題のない処理、中国からみたら倫理的な、心理的な懸念。実務と倫理、心理でかみ合わない。
 広瀬氏の考えではパイは限られたものではなく、世界は君の分、僕の分以外にもまだまだ余分があるのだから、見方の違いで世界は無限に広がることになる。こうした発想から現在の拝金主義信仰は打破されていくのではないだろうか。
 近代を越えようとする広瀬氏のエッセーである。


                               2024.9.16  月曜日

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