藤田昌志 比較文化学のブログ

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 ②薩摩と長州の廃仏毀釈の相違  2025.4.7 月

比較文化学的

  2025.4.7 月 ②薩摩と長州の廃仏毀釈の相違

 鹿児島、薩摩藩では外城(とじょう)制度という、武士を効率よく配置するため、領内を区分し、その拠点として外城を数多く設ける制度があり、18世紀半ばには、113の外城が完成している。ほぼ一村一城の構造で、鹿児島では檀家制度がほとんど機能していない。村ごとに寺はあったが、地域に入り込んだ武士の権限が大きく、檀家制度は極めて脆弱だった。また地域ごとに先輩が後輩を指導する武家教育システム「郷中教育」ごちゅうきょういく があり、上からの命令で権力に従順に従い、廃仏毀釈の際、破壊に加担していった。

 長州の場合は、薩摩藩のような武家による郷中教育はなく、寺子屋と私塾の数は合わせて1410もあり、全国でも群を抜く多さであった。それだけ地域の寺院と庶民のかかわりが深く、結果的に、長州の場合、薩摩藩のように大衆も加わった熱狂的な廃仏毀釈の破壊行為には発展しなかったとの見方が有力である。

 廃仏毀釈について、薩摩藩と長州藩ではその内実は対照的だった。

                    鵜飼秀徳(2018)  pp.70-75

            ノート

 薩摩の外城制度により檀家制度が機能していないこと、そして郷中教育による権力に従順な気風。長州の寺院と庶民のかかわりの深さ。それが廃仏毀釈の内実を対照的なものにした。鵜飼秀徳氏の調査で分かったことである。

 その地域の持っていた構造、システムが権力に従順なものであったかどうかによって、廃仏毀釈が激しいものとなったかどうかの結果が対照的なものになった。これはハード面のことである。ソフト面としては寺への人々の親近感があったかどうかということがある。宗門改めでいばりちらしている寺に対する怒りが庶民の中に醸成された地域では廃仏毀釈は激しいものになったであろう。また、神道からの寺への怒りが噴出したこともあっただろう。江戸時代、寺社奉行というように寺は神社の上に置かれていて、大きな顔をして、権力と結託していた。このことの廃仏毀釈への影響も無視できない。

                          2025.4.7 月曜日

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