藤田昌志 比較文化学のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

宇治  2025.12.1 月

比較文化学的

    

           宇治   菟道   うじ



    宇治

 『宇治市史』ではウジ(宇治)はウチ(内)の意で、北東南の三方が山、西は巨椋池という自然の障壁で遮られているから、❝内❞なのだと書いている。

 私は違う解釈である。かつての宇治市を指す地名である❝菟道❞(うじ、とどう)の「道」が示すように、ウヂの語にはミチ(道)の意味がある。ウ(諾・宜)なる道、すなわち一番宜しい道、ここより外に適当な所がなく、ここが最上の都合の良い道という意味で、ウナミチ(諾道)が語源ではないか。

 ウベナリ(諾)、ウナヅクの「ウ」は承諾のウベ(諾)のウと同じ言葉で、よいことを意味する。

                                                                                    吉田金彦(1991) pp.98-100

                      ノート

  吉田先生の独自の解釈が光る。

  ウが「よいことを意味する」というが、統語的に他の地名の類例がどれぐらいあるのだろうか。「ウ〇」という地名をつぶさに当たる必要がある。吉田先生はそういう基本的なこと述べない。言いすぎか?太秦 ウズマサ は、当てはまる。

 吉田先生の語源は単発的な解釈にすぎるのではないかと思うことがある。もう少し類例をあげてほしい。不親切だ。

 語源の説明の難しさはそこにある。客観性が疑わしいのである。都合のいい例ばかりを集めてきているのではないかというのは語源の説明によく出される疑問である。

 アイヌ語語源一点張り、朝鮮語語源一点張りなど眉唾語源説は牽強付会過ぎて、ついていけない。

 奈良は「ウリナラ」(ハングルで「私の国」)が語源だという説もあれば「ならす」(「平坦にする」)が語源だという説もある。今はそういう二つの説があるということを知っておく。それでいいと思う。白黒つけられないものは、そのままにしておくというのも一つの智恵である。少なくとも戦争にはならない。アジアはそうしてきたのではないか?

                          2025.12.1  月曜日

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