大正時代を再考する 比較文化学的考察 2024.4.15 月
時代区分について(抜粋)
竹村民郎(2004)『大正文化 帝国のユートピア 世界史の転換期と大衆消費社会の形成』三元社は大正、昭和前期を次のように分けている。
1910年代 大英帝国覇権の後退期
1920年代 戦後としての1920年代
1930年代 国家総動員体制へと向かう
という時代区分をしており、それなりの説得性を持っている。国際的研究の際にも西暦基準は受け入れられやすいであろう。 2024.4.5 当方ブログ再録
大正時代を再考する 比較文化学的考察
竹村民郎(2004)は比較文化学的な大正時代再考の書である。
学界での「大正時代」再評価には大正デモクラシー運動に重点を置く民主主義の再評価が重視されていて、こうした立場は戦後民主主義と大正デモクラシーの連続性に注目している。竹内民郎氏は政治中心の立場に立つ大正デモクラシー期という時代区分が適当ではないと考えている。(pp.14-15)
竹内氏は「大正文化」を叙述するにあたって、文化を行為として把握することを重視し、文化の持つ四つの側面―産業、技術、社会組織、価値観のトータルイメージを提案する。
換言すれば、「大正時代」の驚異的な成長が、日本人の生活水準をどのように変えたか、更にはごく普通の日本人の考え方や教育、衣・食・住、性など生活に密着した問題をどのように変化させたかということである。(p.15)
大正時代は、大衆文化の成立によって、明治の漢学、儒教的精神は一挙に洗い流されてしまい、萩原朔太郎や竹久夢二のような、都市の市民の自由な生活感覚と孤独感が大正文化の基礎となった。(p.125)
大正文化のすそ野を広く形成した大衆文化の特徴は、アメリカの大衆文化と、家や国家に対するコンフォーミティー(一致、順応すること)を基調とする伝統的社会との接ぎ木にある。これに対して、大正文化のピークを形成し、インテリを対象とした白樺派、大正教養主義の特徴は、ヨーロッパ文化と家に象徴される家父長制への反逆とが結びついているところにある(p.126)。
大正の文学者、芸術家にとって、家に対するコンフォーミティーを基調とする大衆文化は、悪魔に魂を売り渡したものの住む世界のように思われ、また彼らは、アメリカ文化を軽蔑したが、欧米文化の受容を第一義と考える点では共通していて、裏を返せば朝鮮、中国などの東洋の文化を鑑賞の対象としては見ていたとしても、受容すべき対象としては考えていなかったのである(pp.126-127)。
ノート
大正の大衆文化と大正の文学者、芸術家は水と油で相容れることはなかったが、欧米文化の受容を第一義と考える点では共通しているという指摘は重要である。
大正文化はアメリカ大衆文化と家や国家へのコンフォーミテイー(一致、順応)の接ぎ木となることによって、昭和の全体主義を用意したのである。これが比較文化学的な解釈である。
天皇を頂点とする「家」としての神国日本。天皇崇拝を必須要素とする国家神道という民族宗教を精神的支柱として軍部が独断専行して軍功を競う、民衆に相互監視を強いる全体主義国家が跋扈する「神国日本」。八紘一宇の名のもとに世界へ繰り出す。他が従うはずがない。それがわからなかったのが恐ろしい。『教育勅語』の威力と「人の振り見て我が振り直せ」の文化がそうさせた。それがすべて悪いともいえないところに問題の難しさがある。それでも忠君愛国はいただけない。拝金主義もいただけない。比較文化の研究を続けるしかない。
2024.4.15 月曜日