藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 白樺派について 2024.3.15

              志賀直哉     白樺派について  藤村操の自殺があり、死生問題が取りざたされてから、志賀直哉の「城の崎にて」が刊行されるまで十数年である。その間は「文学的に死を書く」という課題が自覚される過程であった。乃木希典の殉死があり、漱石の『こころ』や森鴎外の『阿部一族』『高瀬舟』が書かれた。トルストイ的なヨコの関係への発展の可能性を持った死生観表出の可能性はなかったのか。白…

松任谷由実 - 春よ、来い  2024.3.14

松任谷由実 - 春よ、来い   松任谷由実 - 春よ、来い   淡き光立つ 俄雨(ニワカアメ)   いとし面影(オモカゲ)の沈丁花(ジンチョウゲ)   溢るる涙の蕾(ツボミ)から   ひとつ ひとつ香り始める   それは それは 空を越えて   やがて やがて 迎えに来る   春よ 遠き春よ 瞼(マブタ)閉じればそこに   愛をくれし君の なつかしき声がする   君に預けし 我が心は …

1900年初頭の知識人、文学者の死生観言説 2024.3.13

            1900年初頭の知識人、文学者の死生観言説  教養文化の中の死生観言説は、「煩悶」の言説の中にその早い現れがあり、1903年、第一高等学校学生、藤村操の華厳の滝投身自殺は世間を賑わせた。  藤村が身を投げる直前に、華厳の滝の樹上に彫り付けた「巌頭の感」には「既に巌頭に立ちに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを」とある。死に直面するこ…

 仰げば尊し 2024.3.12

【音楽レク/歌詞あり】仰げば尊し【高齢者施設向け】  仰げば尊し   いまこそわかれめ   いざさらば   別れの感傷   新しい世界への期待                                 2024.3.12    火曜日

1900年初頭からの武士道的死生観の受容 2024.3.11

        1900年初頭からの武士道的死生観の受容  日本で「死生観」という語が生みだされ、多くの人々が関心を持つようになったのは1900年代の初頭のことだった。  武士道から国民道徳論へ発展していくような死生観言説の系譜は加藤咄堂に代表されるが、乃木希典の明治天皇への殉死によって一段と強力な流れとなった。  この流れは、戦時中の死生観言説の支配的な様式となる。太平洋戦争期までの死生観言説…

河口恭吾 - 桜 2024.3.10

河口恭吾 - 桜 河口恭吾 - 桜 僕がそばにいるよ 君を笑わせるから 桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう 僕がそばにいるよ 君を笑わせるから 桜舞う季節かぞえ 君と歩いていこう まぶしい朝は何故か切なくて 理由をさがすように君を見つめていた 涙の夜は月の光に震えていたよ 二人で 僕がそばにいるよ 君を笑わせるから 空のない街抜け出し 虹を探しに行こう いつもそばにいるよ 君を笑わせるから やわ…

♪さくらさくら ー ♪さくらさくら野山も里も〜【日本の歌・唱歌】 2024.3.9

♪さくらさくら ー ♪さくらさくら野山も里も〜【日本の歌・唱歌】 ♪さくらさくら ー ♪さくらさくら野山も里も〜【日本の歌・唱歌】   さくら さくら   のやまも さとも   みわたすかぎり  かすみか くもか   あさひに  におう   さくら さくら  はなざかり  ♬                            2024.3.9    土曜日

アイヌ語と地名 2024.3.8

                      中西  進  アイヌ語と地名  かつて吉田金彦先生の語源研究会、地名研究会にかかわっていた時、研究会で朝鮮語と日本語の語源やアイヌ語と日本語の語源について発表する人が時々いた。その人たちは朝鮮語一本やりやアイヌ語一本やりで日本語の語源を解明しようとしていて、違和感を持ったことを覚えている。一つの理由だけで、日本語語源を解明できるとは思われない。  20…

童年 (子供時代) 2024.3.7

「童年」长大了才知道大人并不好当 子供時代  歌詞  部分  大意   池のガジュマルの樹で   蝉がみんみん鳴く 夏の日   運動場のブランコに   ちょうちょが止まってる   黒板の先生のチョークの音   キイ―キイー止まらない   放課後が待ちどおしい   遊びが待ち遠しい子供時代   あるところにはいくらでもあるが   私のポケットには五円玉だけ   アニメの主人公は宝剣を振り回す   …

格物致知  3   荻生徂徠 2024.3.6

                   徂徠豆腐  格物致知  3   荻生徂徠  荻生徂徠は「「格物致知」の「物」は聖人の教えの具体的な内容で、それを習って『格(まね)き』寄せること=聖人の様々な教え、具体的な内容をわが物とすること が「格物」であるとした。『格』は『来(くる)』であると言う。そして、具体的な内容がわが物になれば、すなわち『知』が自然に明らかになる。つまり、『知』が至る、『致知』…

さくら(独唱) - 森山直太朗(フル) 2024.3.5

さくら(独唱) - 森山直太朗(フル) さくら(独唱) - 森山直太朗(フル) 刹那に散りゆく運命と知って   なくなるからこそ美しいという   日本人の美学が桜にはこめられている。                               2024.3.5   火曜日

格物致知 2 王陽明 2024.3.4

                     心即理    格物致知 2  王陽明  朱子より340年ぐらい後の人、王陽明は朱子の説く「格物致知」の教えを実行しようとして、試しに庭先の竹を格物しようとしたが、七日で頭がおかしくなった。王陽明は「心即理」(人が生まれつき持っている良知を実現すること)が真実だと説いた。(pp.263-264) 佐藤雅美(平成28)       ノート  朱子学は本を大量…

桜   コブクロ 2024.3.3

コブクロ/桜【歌詞付き】   桜   コブクロ   春の歌。   桜。                             2024.3.3  日曜日

いただきます  はなぜ言うのか?       2024.3.2

         いただきます はなぜ言うのか? ある県で、保護者が学校に電話してきた。「給食の時、子供たちにいただきますと言わせるのはやめてほしい。」教師がなぜかと問うと、「給食費を払ってるんだから」と言う。実際にあった話。  天ぷら屋さんで聞いた話。母親と娘が「いただきます」を言おうとしたら、父親が「言わなくていい。金を払うのは俺だから」と制した。給食費を払ってるから、という保護者と同じ次元…

格物致知     2024.3.1

   格物致知  かくぶつちち 「吾の知を致そう(完成しよう)と思うならば、物に即してその(物の)理を窮めなくてはならぬ」(大学『格物致知』)。人間は「知」(認識力)を有するが、知は不完全なものである。一方、万物で「理」を有しないものはない。だから、学問をする者はすべからく万物の「理」を窮め万物に即し、万物の「理」を手掛かりに「知」を完成するように努めなければならない。そうすれば聖人になれる。(…

  餅         2024.2.28

                   餅     餅と日本人  餅を正月に禁忌する地域がある。柳田国男は晩年、餅なし正月について、元旦は餅が神に供えられているべき期間であったから、禁忌したのだろうと述べている。  安室氏は餅なし正月は、一族の団結を自覚することと他家への自己顕示の両方の意味があると言う。  餅なし正月は、餅を入れた雑煮を食べることは含まない。                   …

煩悶青年の世界観      2024.2.26

       藤村操 華厳の滝投身自殺前に記した「巌頭感」にある言葉  始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致すると  煩悶青年の世界観   明治後半の藤村操等の煩悶青年の世界観は、一方で宗教と、他方でユートピア的な国体論と結びつきやすかった(p.105)。 宗教を経由して、日本的な全体主義が生まれた(同)。中島岳志 島薗進(2016)   ノート  ここで言う宗教とは親鸞主義や日蓮主義のことで…

あの素晴らしい愛をもう一度  フォーククルセダーズ     2024.2.25

あの素晴らしい愛をもう一度  あの素晴らしい愛をもう一度  フォーククルセダーズ   命かけてと誓った日から  素敵な思いで  残して来たのに  あの時同じ花を見て  美しいと言った二人の心と心が  今はもう通わない  あの素晴らしい愛をもう一度  あの素晴らしい愛をもう一度 若いのに愛のはかなさ、うつろいやすさを知ってしまっている。  人と人が心を通じ合わせ続けるのは難しいと歌っているようだ。…