藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「悲しくてやりきれない」 ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)2024.2.24

「悲しくてやりきれない ザ」・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders) 「悲しくてやりきれない」 ザ・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)  悲しくてやりきれない  とてもやりきれない  このやるせないもやもやを  だれかに告げようか     ♬   青春のゆらぎか   こういう悲しみの歌を   よく作ったものだ                  …

 天  神   天皇          2024.2.23

               天   天  神   天皇   天とは①青空の天。それから、②理想的な存在で、人である治世者を通して、理想社会を実現させる。さらには③人格神的絶対者。中国ではこうしたカテゴリーが一般的だ。  神とは西洋では絶対的な存在で、人格神である。人が死んだとき、神によって「お前は天国、お前は地獄」と神の審判で行き先が決まる。神の恣意的な判断にゆだねられ、恐ろしいので、西洋人は…

吉本隆明の科学原罪論と親鸞の悪人正機    2024.2.21

          吉本隆明の科学原罪論と親鸞の悪人正機  吉本隆明の反原発批判は、原発は科学の行き着くところであり、完全な原発防御施設をつくるしかないという考えに基づく。  吉本隆明の反原発批判には二つの側面があり、一つは進歩主義の側面で、科学の進歩は人類の進歩であり、理性・知性の無謬性を基礎とする設計主義的合理主義に依拠している。もう一つは、科学を進歩させ、原発を作ってしまったことを吉本は「…

 風     はしだのりひことシューベルツ  2024.2.20

風 はしだのりひことシューベルツ 風     はしだのりひことシューベルツ   昭和44年の歌。     ちょっぴり寂しくて 振り返っても   そこには  風が吹いているだけ   ♬                               2024.2.20  火曜日

生きのびた国家神道    2024.2.19

  生きのびた国家神道   1945年以降、国家と神社組織の結びつきは解体されたが、皇室祭祀は維持された。GHQが教団中心的な宗教観(=国家と教会組織は分けなければならない、逆に言えば分ければそれでいいという考え)による判断をしたからだ(p.170)。GHQは皇室祭祀は天皇の私的な事柄で、問題ないと考えた。それはアメリカ的な宗教観に基づく判断(国家と宗教組織を分ければいいという考え)だった。  …

 岬めぐり4K / 山本コウタローとウイークエンド  2024.2.18

岬めぐり4K/山本コウタローとウイークエンド  岬めぐり4K / 山本コウタローとウイークエンド  山本コウタローも亡くなった。  懐かしい歌。  50年近く前の歌だろう。  悲しみ深く 胸に沈めたら  この旅終えて 街に帰ろう ♬                             2024.2.18  日曜日

ある日突然 ~ トワエモア    2024.2.17

ある日突然 ~ トワエモア  ある日突然 ~ トワエモア   うっすら記憶に残る歌。  名曲だと思う。  かけがえのないものは壊れやすい。                              2024.2.17  土曜日

廃仏毀釈        2024.2.16

     廃仏毀釈  1868年  神仏分離令公布。廃仏毀釈の流れができる。  有名寺院の仏像などが二束三文で売りに出され、寺の庭には、仏像の首が転がる所もあったと言う。  1970年代半ばに廃仏毀釈は収束する。  しかし、祭政一致の理念は続き、1890年の『教育勅語』で民衆は天皇崇敬、国体思想を当たり前と思うようになっていく(p.106)。 中島岳志 島薗進(2016)    ノート  「神道…

高山樗牛  田中智学     2024.2.14

             田中智学       高山樗牛  田中智学  高山樗牛は明治の煩悶青年の先駆けで、1901年に田中智学と面会している(p.86)。  田中智学は1914年に国柱会を作り、法華経と日本の一体化をもくろんだ。田中智学の思想は、社会進化論的で、発展段階論的であった。日蓮教団の拡大→国民の日蓮思想への感化→天皇の日蓮主義への改宗→国立戒壇の建立→日蓮主義国家の誕生という発展段階…

超国家主義       2024.2.12

                   橋川文三    超国家主義   丸山眞男は超国家主義を「極端なナショナリズム」と考えて否定的にとらえたが、橋川文三は超国家主義を「国家を超える主義」としてとらえ、1921年の朝日平吾による財閥安田善次郎暗殺、1931年の石原莞爾による満州事変、1932年の井上日召による血盟団事件、1936年の北一輝による二・二六事件を取りあげて、研究していった(p.82)。…

夏休み  吉田拓郎           2024.2.11

夏休み【吉田拓郎】歌詞付き  夏休み   吉田拓郎  拓郎の歌は時代を反映しているが、  すべてムーディなものである。  岡林信康のような社会性、メッセージ性、自己省察はない。  拓郎の歌は1980年代を代表する歌ではある。  以前のような夏休みがもうないことを  懐かしげに、感慨深く歌う。  もう帰ってこないのだ、あの夏休みは。  それでも待ってる夏休み。                   …

  煩悶青年         2024.2.9

              藤村操        煩悶青年 1880年代以降に生まれた青年は、日本が欧米と肩を並べ始めたころから立身出世に疑問を持ち始める(p.35)。それは明治後半以降のエリート青年の特徴である(p.55)。 1903年(明治33)藤村操の華厳の滝投身自殺はその象徴的事件であろう。  1894年から1906年の日清・日露戦争を経て宗教が個人の内面と深く結びつくようになっていく(…

   ウグイス「嬢」と呼ばないで     2024.2.7

     ウグイス「嬢」と呼ばないで 2024.2.2 金 京都新聞 夕刊 記事  「ウグイス嬢」という言葉は元は、1947年に、東京・後楽園球場で行われた野球大会で女性が初の場内アナウンスをしたときに生まれたとのこと。選挙用語として定着している。昭和40年代までは、「マイク持ちは男の仕事だった」と京都で50年以上選挙にかかわってきた元議員の男性は言う。選挙で名前を連呼したり支援を呼びかけたりす…

  イムジン川        2024.2.6

イムジン河  イムジン川  1968年だったか、  いい歌だと思ったら、発売禁止になった。  この歌の成り立ちには物語があり、  今でも思い出深い。  映画『パッチギ』でも映画の中で演奏されている。  国家というよりも  文化で考える時代は  いつになったら来るのだろうか。  文化は衣、食、住、性、政治文化、音楽、映画と多様である。  その文化の多角的比較、比較文化の中から  新しいものが生まれ…

   蝋梅           2024.2.5

                        蝋 梅  ろうばい   懸物   永日小品』より   夏目漱石  倅は道具屋は廃 よし になさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱かかえて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明 あか ない男にどうして譲れるものか、あ…