藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

両替町、金吹町、御金神社      2024.4.22 月

 

  御金神社   おかねじんじゃ?
  京都の二条城を横に見て、三条西友に買い物に行く。月に二度ほどの私の日曜朝のルーティーン。昨日もそうして帰りに、ふと御池通りの西洞院通りを見てみると、100人程の長蛇の列ができている。交通整理まで出ている。急遽、西洞院御池通りから北上した。


 ははあん!御金神社に集まっているんだ。おかね神社にあらず。正しくは、みかね神社である。漢字にすると「おかね」とも「みかね」とも読める。同音語は日本文化の特徴で「だいこく」=「大黒」=「大極」などがその例である。そのバージョンで同漢字語の複数読みである。
 本来、近くの釜座通り(釜で金属に関係がある)や両替町通り(かつての金座、銀座で金属、更には 金 カネ に関係がある)からわかるように 金属関係を祀る神社である。 金属=金 かね =お金 という連想である。同じ漢字の 金 が金属の意味から お金 の意味にも拡張されたのである。
 御金神社は鳥居が近くの金属業者の奉納でキンキラキンになって、更に衆目を集めるようになった。現世利益を求める人々の参拝が後を絶たない。


                     再録      2023.1.9   月曜日


         ノート  両替町、金吹町、御金神社
 御金神社から徒歩7、8分のところに、金吹町(きんぶきちょう)がある。両替町通り押小路のあたりである。1870年(明治3)からの名で、その前の近世には両替町と呼ばれた。その名は現在も南北の通り名に残っていて、1608年(慶長13)から銀座が置かれて、小判の鋳造が行われたことに由来する。秀吉の頃は伏見に同名の両替町があったが、江戸時代にここに移されている。このあたりにはかつて第一勧業銀行(みずほ銀行の前身)があった。つまり、御金神社、両替町と「金」「金属」「金融」つながりのものがこの辺りにかつてあったことがしのばれるのである。
 京都には、釜座通り、衣棚通り、竹屋町通りなど同業者の名を通り名にしているところが多い。それはかつて京都が工業都市で、同業種が集まって町内をつくり住んでいたことを彷彿とさせる。同業者が近所にいたら、原材料など借りやすいので便利なのである。
 こうしたところにも、京都の町の歴史の深さがしのばれる。今は外人ユーのためのホテルだらけになっているのは、なんとも悲しい。


                           2024.4.22      月曜日

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