藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

2022年3月のブログ記事

  • 柄谷行人 漱石論「文学について」 内容要約+ノート

             柄谷行人 漱石論「文学について」  柄谷行人(2017)pp.125-154  漱石論「文学について」。  内容要約  漱石が「英文学」に対して「漢文学」と言った時、それは中国文学ではなかった。そして漱石は「英文学」に対して和歌に代表される古典文学を対置しなかった。漱石は「漢文学... 続きをみる

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  • 柄谷行人 漱石論「内側から見た生」内容要約とノート

               柄谷行人 漱石論「内側から見た生」内容要約とノート  内容要約  柄谷行人(2017)pp.88-97 。『夢十夜』は漱石の生の暗喩である(p.69)。漱石は生への徹底的な嫌悪を持ち、社会的に存在することは自己の本質を奪っていると考えた(p.73)。  「第三夜」。自分の背負... 続きをみる

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  • 「関口宏のもう一度! 近現代史」終了

    「関口宏のもう一度!  近現代史」終了  「関口宏のもう一度! 近現代史」が昨日、2022年3月26日 土曜、午後12時から12時55分 で二年間の放送を終えて、終了した。次回からは古代史 最前線 を放送するそうだ。  この番組の後、関西では「吉本新喜劇」を毎日テレビ4ch で放送するので、その前... 続きをみる

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  • 柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート

             柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート  柄谷行人「意識と自然―漱石試論」は1969年『群像』新人賞を受賞した、同氏の10代~20代の漱石論である。(以下の頁は柄谷行人(2017)『新版 漱石論集成』岩波現代文庫 の頁。)  ここにいう「自然」とは=「存在」のことで、19世紀の... 続きをみる

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  • 鴎外と漱石

    鴎外と漱石  鴎外と漱石は和・洋・中に通暁していながら、方向が全然違う。  鴎外は軍医であり、大日本帝国とともに歩んだ人である。基本的に官僚としての精神的ストレスを文学で昇華した。墓に「森林太郎の墓」以外の何も書いてはいけないと遺言したところに、鴎外の心中を察して余りあるものがある。鴎外の文章には... 続きをみる

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  • 没理想論争 逍遥と鴎外のバトル

     没理想論争 逍遥と鴎外のバトル  坪内逍遥と森鴎外の没理想論争(1891年(明治24)-1892年(明治25)。〈没理想〉とは,理想や主観を直接表さず,事象を客観的に描く,あるいはそのような態度で描かれた作品の特質をいう。)は、どういうものであったのだろうか。坪内逍遥は小説を三つに分類し、物語派... 続きをみる

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  • 吉本新喜劇のギャグ  笑いとは何か

            吉本新喜劇のギャグ  笑いとは何か  梅原猛は『笑いの構造』という本を書いている。昔、読んだが、難しくて内容はほとんど忘れた。要は、落語を聞きに寄席に通い、ベルグソン流哲学で笑いを解明しようとしたものである。ベルグソンの生命の流れなどを援用していたと思う。桂枝雀師匠の「笑いは緊張と... 続きをみる

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  • 日本語の婉曲表現について

      大木 こだま ひびき 日本語の婉曲表現について  日本語は婉曲表現が多い。語レベル、句レベル、文・文章レベルに分けて述べてみたい。  まず、語レベル。日本語は漢語と和語、カタカナ語に分けられる。漢語と和語の使い分けも婉曲表現と関係がある。漢語で言うと概念的、公的な感じがあるが、和語で言うと、感... 続きをみる

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  • ウクライナについて

             ウクライナ キエフ国立大学 ウクライナについて  20年以上前、京都の深草で非常勤で日本語を教えていたとき、ウクライナから来た留学生がいた。その年、男子二人、翌年、女子二人。いずれも日本語レベルは中級で、会話はできるが、日本語の新聞を読めるほどの力はないといった通常留学生の日本語... 続きをみる

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  • ロシア文学・ロシア・ロシア人について

         ドストエフスキー ロシア文学・ロシア・ロシア人について  今から50年ほど前に、大学に入学した私の時代は、まだ、共産主義が健在で、共産主義、共産党の悪口を言えない雰囲気があった。1973年(昭和48)ごろのことだ。家は京都で、大阪の上本町にある外大に通った。大学の生協は民生の巣と言われて... 続きをみる

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  • 「コーヒーでも飲みませんか? 」  えっ、先生、どうして「でも」と言うんですか。

              「コーヒーでも飲みませんか? 」  えっ、先生、どうして「でも」と言うんですか。   外国語母語話者に日本語を教えていると、こうしたことをよく聞かれる。「コーヒーを飲みませんか?」でいいではないですかと。「でも」は日本語学で、とりたて詞の中の「選択的例示」と言われるもので、「あ... 続きをみる

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  • 空襲被害と受忍論 直野章子     2022.3.17 木 京都新聞 夕刊 現代のことば

    空襲被害と受忍論 直野章子     2022.3.17 木 京都新聞 夕刊 現代のことば  1945年3月10日、米軍機による東京大空襲は東京を殲滅することを目的とし、周囲を円を描くように爆撃し、逃げ場をなくしてから、中を無差別爆撃するという凄惨な爆撃であったが、知る人は多い。一方、空襲被害者に言... 続きをみる

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  • 英雄たちの選択「千年のまなざしで中国をみよ 内藤湖南が描いた日本と中国」 放送日 3月16日(水) [BSプレミアム] 後8:00

    --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 英雄たちの選択「千年のまなざしで中国をみよ 内藤湖... 続きをみる

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  • 〇✖ は ✖ 浅田彰 / 自問自答 先崎彰容(あきなか)2022.3.14 BSフジ プライムニュース ウクライナ侵攻を思想史的に考える

    〇✖ は ✖ 浅田彰 / 自問自答 先崎彰容(あきなか)2022.3.14 BSフジ プライムニュース ウクライナ侵攻を思想史的に考える  1983年浅田彰著『構造と力』勁草書房刊 は、思想関係の本としては異例の15万部売れ、浅田彰は、中沢新一らとともにニューアカ(=ニューアカデミズム)の代表とし... 続きをみる

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  • ことばとは何もの?

    ことばとは何もの?  ことばとは何ものだろうか。人間は個体である。個体の故に、自分が一番かわいい。しかし、動物でも植物でも子を産み、種子を落とし、献身的に子育てをし、子孫繁栄のための努力をする。それも事実である。人間も生物であるから、本然的に自己のために何かしようという気持ち、志向と他のために何か... 続きをみる

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  • 思考と言語

             ヴィゴツキー 思考と言語  ピアジェが頭の中の認知発達に興味を持っていたのに対し、ヴィゴツキーは社会的相互作用を通した個人の発達に着目し、ヴィゴツキーの立場はよく社会構成主義(social constructivism)と言われる。以下、閲覧。  ヴィゴツキー『思考と言語』は思考... 続きをみる

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  • 言語と思考

      こんなのもあるぜ。まだはもうなり、もうはまだなり。株の言葉だ。 言語と思考  言語と思考というのは鶏が先か卵が先かと同じで、どちらが先ともいえない。言葉が初めにありき、これはキリスト教の立場である。「光あれ、と神が言った。それで光が生まれた。」聖書。言葉、それも音声としての言葉を大事にするのが... 続きをみる

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  • サピア=ウォーフ仮説から否定疑問文のトンデモ論を考える

    サピア=ウォーフ仮説から否定疑問文のトンデモ論を考える          誤解してはいけないのは、日本語表現    が話者中心性を特徴とすると言っても、   日本人が 自己中心的であるということ   ではないということである。バカはそこ   ら辺を混同して、単なる言語表現の習慣   的事実を「〇〇... 続きをみる

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  • 日本語の話者中心性について

    日本語のわからない人 手を挙げて その日本語がわからない  ―日本語非母語話者向け日本語学校の入学式での一コマ― 日本語の話者中心性について  日本語の話者中心性というのは次のような例のことである。   私は先生に~と質問された。  英語や中国語なら、「先生は私に~と質問した。」と表現するであろう... 続きをみる

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  • ちょっと変だよ、福沢さん

            福沢諭吉 ちょっと変だよ、福沢さん  世界の言語は孤立語、抱合語、膠着語、屈折語に一応、類型的に分けられる。20世紀のカール・グレンという言語学者は言語は中国語のような孤立語から欧米語の屈折語のような言語に進化するとし、言語進化説を説いた。進化論とは実は非常に差別的な論で、それを社... 続きをみる

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  • 「師」か 「士」か ?

     専門学校  歯科衛生士科 「師」か 「士」か ?  弁護士は「士」なのに、看護師はなぜ、「師」なのか。ちょっと気になる。 ネットで調べると次のようにあった。 -----------------ーーー  看護師と看護士はいずれも看護を行なう者を指す名称ですが、かつて女性の看護師のことを「看護婦」、... 続きをみる

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  • 最近の日本語

    最近の日本語  日本語教育と中国語教育に30年以上かかわりながら研究していたので、最近の日本語には注意が行く。  ①「ら抜き」言葉が言われて40年以上が経   つ。「食べられる」を「食べれる」と言い、「見られる」を「見れる」という現象で、規範文法としては教えない。しかし、「言語の経済性」から考えれ... 続きをみる

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  • 漱石のユーモア    張建明(2001)

    漱石のユーモア     張建明(2001)『漱石のユーモア』講談社選書メチエ   張建明(2001)は漱石のユーモアなどについて次のように述べている。  『吾輩は猫である』は伝統的な自我の表現であり、『明暗』は近代的な自我の表現である(pp.32-33)。  漱石の笑いの方法は、①江戸的な方法によ... 続きをみる

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  • 漱石の俳句  五つの作句時期と各期の例句  まとめ

          漱石の俳句  五つの作句時期と各期の例句  まとめ  漱石の俳句を見てきたが、最後に五つの作句時期と各期の例句を提示して、まとめとしたい。五つの作句時期の分類は小室善弘(昭和58)による。  一、書簡俳諧期(明治22年5月~明治28年             3月)     帰ろふと泣... 続きをみる

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  • 1915年(大正4)―1916年(大正5)の漱石の俳句

            梅    春の到来ですよ 1915年(大正4)―1916年(大正5)の漱石の俳句 1915年  女の子十になりけり梅の花 1916年  秋立つや一巻の書の読み残し  1915年「女の子十になりけり梅の花」「静江さんに」と前書して。静江は滝田樗陰の 娘(坪内稔典(1990)p.193... 続きをみる

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  • 1912年(明治45・大正元)―1914年(大正3)の漱石の俳句

               ロシアで反戦デモ 1912年(明治45・大正元)―1914年(大正3)の漱石の俳句  1912年   秋風や屠られに行く牛の尻  1914年   秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ  1912年 「秋風や屠られに行く牛の尻」 9月26日に痔の手術をし、その入院の際を回想した句(坪... 続きをみる

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  • 1908年(明治41)―1910年(明治43)の漱石の俳句

    1908年(明治41)―1910年(明治43)の漱石の俳句  1908年   この下に稲妻起る宵あらん  1909年 黍行けば黍の向ふに入る日かな  1910年 あるほどの菊抛(な)げ入れよ        棺の中   1908年「この下に稲妻起る宵あらん」『吾輩は猫である』のモデルになった猫が死に... 続きをみる

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