犬養毅 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日)
犬養毅 (1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日) 阿部眞之助(2015)pp.225-253 内容要約 犬養はもと犬飼と言った。木堂によって犬養と改めた。漢学の素養がある彼の文字感が「飼」の字を忌ましめたのであろう(p.230)。 凝り固ま... 続きをみる
犬養毅 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日)
犬養毅 (1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日) 阿部眞之助(2015)pp.225-253 内容要約 犬養はもと犬飼と言った。木堂によって犬養と改めた。漢学の素養がある彼の文字感が「飼」の字を忌ましめたのであろう(p.230)。 凝り固ま... 続きをみる
大隈重信 (1838年 3月11日〈和暦:天保9年2月16日〉- 1922年〈大正11年〉1月10日)
大隈重信 (1838年 3月11日(和暦:天保9年2月16日)- 1922年(大正11年)1月10日) 阿部眞之助(2015)pp.133-161 内容要約 大隈の屋敷には食客が絶えず、少なくとも二三十、多ければ四五十人がゴロゴロしていた。その中には五代友厚もいた(p.... 続きをみる
伊藤博文 (1878-1909) 阿部眞之助(2015)pp.101-129 伊藤博文は、木戸ほどではないが、相当の大頭であった。写真でもそのことは窺える。出身は、下級武士にすら属しておらず、長州の農村の百姓の子としてこの世に生を受けた(pp.102-103)。 明... 続きをみる
山 縣 有 朋 今回から、人物評伝など、特にトピックを決めず、心に響いた本の内容要約とノートとなります。乞うご期待! 知らないことがたくさんあります。大切な知識... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』終章 pp.258-266
近代化によって失われたものは何か? 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』終章 pp.258-266 内容要約 漱石は漢文調の表現が使えなくなり、言文一致体を採用することと並行して「人間が収まるべきところに収まる」という漢文が伝統的に持っている世界観... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』迂言法: pp.238-253
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』迂言法: pp.238-253 内容要約 迂言法とは短い語句で言えることを、わざと複数の言葉を使い、いいかえる修辞法のことで、たとえば「トイレに行く」ことを「小用を足す」とか「お通じがある」などと表現するものである(p.240)。婉曲に述... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「さらす」: 視点 pp.209-233
恥 を さ ら す 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「さらす」: 視点 pp.209-233 内容要約 『門』という小説は、お米の苦悶する姿をくり返し描き出し、正確に言えば、物語の彼女の苦悶する身体を描き、内面を描かない(p.212)。病床で我を忘れる身体が描かれる... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「訳す」:翻訳調 pp.194-205
森 田 思 軒 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「訳す」:翻訳調 pp.194-205 内容要約 明治の文学者、斎藤緑雨は江戸文学の素養を武器に、スタートしたばかりの明治文学を痛烈に批判した(p.199)。森田思軒... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩pp.173-190
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩 pp.173-190 内容要約 漱石の小説は知識人の男がよく出てくるが知識人の女は出てこない(p.174)。 隠喩は認識である。隠喩が長くなると諷喩になる。諷喩を利用しているジャンルが箴言というスタイルである(p.176)。漱... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170
ロビンソンクルーソー 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170 内容要約 漱石はダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を批判している。一貫した視点・解釈及びそれにもとづく修辞的工夫がないと言う(p.156)。起こ... 続きをみる
漢文学と英文学 漱石の選択 北川扶生子(2020)「こだわる」 pp.79―91 内容要約 ダーウィンの進化論は生物の進化論であり、理系の世界の話であったが、ハーバード・スペンサーはそれを文科系にも援用して文化の一方向の進化を唱えた。社会進化論である。文学も西洋文... 続きをみる
高 山 樗 牛 (1897年 (明 治30))「支那文学の価値」 明治40年代の漢文の状況 北川扶喜子(2020)pp.37-58 「ねじふせる」 要約 漱石の『虞美人草』が書かれたのは1907年、明治40年のことで、それは「自分で結婚相手を決めようとしたが、... 続きをみる
言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)
言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908) 北川扶生子(2020)序章 内容要約 漢文調(p.18)は荘重で、公的、権威的文体である。漱石は『虞美人草』で男を手玉に取り利で利用しようとする藤尾を「正義」でさばいたが、その描写は漢文調によるものであった。樋... 続きをみる
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』について
北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』につ い て 内容要約 ・『吾輩は猫である』(以下、『猫』と省略する。)は天下泰平の駄弁。どこにもたどり着かない言葉の洪水。これがこの小説の魅力である(p.125)。... 続きをみる
柄谷行人 漱石論 『虞美人草』 柄谷(2017)pp.366-372
柄谷行人 漱石論『虞美人草』柄谷(2017)pp.366-372 ・『虞美人草』 は1907年、明治40年に朝日新聞に連載された。東京帝大講師をやめて、朝日新聞に入社した漱石の最初の仕事である。この時、漱石は初めて作家としての自覚を持った(pp.366-367) 。 ・漱石は社会... 続きをみる
ヒロイン 藤尾を思わせる三越百貨店のポ スター 北川扶生子(2020)p.38 漱石 『虞美人草』あらすじ 登場人物 ノート あらすじ Wikipedia 閲覧 甲野藤尾(こうのふじお)は虚栄心の強い美貌の女性。兄の欽吾が神経衰弱(鬱病... 続きをみる
柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート 柄谷行人(2017)pp.347-349 内容 「それから」は明治42年、朝日新聞に連載された。「それから」は「三四郎」のそれからである。 「門」は「それから」のそれからで、これら三作品を三部作とみなすのが通説である... 続きをみる
自然主義について 漱石が『吾輩は猫である』を書いた1905年、1906年は自然主義全盛期で、1906年から1909年は自然主義の時代であると文学史上はされている。元来、フランスの科学主義としての自然主義が日本に移入された時は、遺伝と宿命という科学を中心とした客観主義であったのが、いつの間... 続きをみる
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート あらすじ 十一 「床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している。~」 床の間の前で迷亭と独仙が碁を打っている。寒月と東風が相並んで、そのそばに主人が座っている。雑談が始まる。ヴァイオリ... 続きをみる
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート
『吾輩は猫である』 原稿 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート あらすじ 九 「主人は痘痕面である。御一新前はあばたも大分流行ったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時候後れの感がある。~」 主人のあばた面の話... 続きをみる
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート あらすじ 七 吾輩は最近、運動を始めた。新式運動には蟷螂(かまきり)狩り、蝉(せみ)取り、松滑り、最後に垣巡りがある。服装についての吾輩の考えを述べた。裸体画は誤りである。 薬湯、鉄砲などについて、とりとめのない... 続きをみる
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ三、四 + ノート
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』あらすじ 三、四 + ノート あらすじ 三 「三毛猫は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己ができたのでさほど退屈とも思わぬ。~」 主人はジャム好きで、たくさんジャムをなめる。 迷亭が来て、吾... 続きをみる
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ一、二 + ノート
漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』一、二 あらすじ + ノート 一 あらすじ 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。~」 いくら放り出しても台所へあがってくる野良猫、「我輩」は主人の許可で家に置いてもらうこととなった。中学校教師の主人はわがままで、主人が猫を水... 続きをみる
江藤淳「漱石の文学」 内容要約 + ノート 江藤淳「漱石の文学」(平成17)『草枕』 新潮文庫 pp.200-212 内容要約 ・漱石文学の核に潜んでいるのは、寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である(p.202)。漱石の生家と養家いずれもが名主の家柄だったという... 続きをみる