藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「女ことば」

      

     「女ことば」
 「女ことば」の始まりは明治時代の女学生の話し言葉で(言語学者、中村桃子氏による)当時は「下品で乱れた言葉」だとされていた。
 「女ことば」が植民地同化政策で、男女の異なった言葉遣いが日本のすばらしさとして教えられ、戦後も「女ことば」は日本女性の丁寧で控えめ、上品さという「女らしさ」と結びつけられ、「女ならば女ことばを使うはずだ」という意識も生まれた。(朝日新聞)2021.11.13)
 「女ことば」をやめて「中立語」(男女共通語)を話せばいいという考えが現在は強く、優勢だが、言葉は保守的なもので、それほど簡単ではない。
 日本文化には「性別の美学」があり、めおと茶碗や女坂、男坂などがそうで、「性別の美学」は日本の隅々にまで浸透している(ドイツの日本文学研究者イルメラ・日地谷=キルシュネライト)。
 「男らしさ」「女らしさ」という言葉は「差別」につながるとして現在、死語化している。同時に「女ことば」「男ことば」も死語化して「中立語」がすべてになっていくのだろうか。
 文化は前代のものを残しつつ現在のものを取り入れて作られていくものだから、「女ことば」をすべて廃止すればいいというものではないし、言葉が保守的なものであることを考えれば、それもできない。
 性による差別はなくすようにして、逆に女性が男性化したような汚い男言葉を女性が使わないようにする知恵が必要になる。「男ことば」が「すげえ」とか「あざあす」などと品のない言い方をするのも避けたほうがいいのではないだろうか。
 言葉が荒れると心も荒れる。
 自由と規律は一体であることを日本人は戦後80年間、アメリカの「自由」から学んでこなかった。


                             2023.9.15   金曜日

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