茶道さどう・茶の湯 来客の際の茶の入れ方や飲み方を様式化した作法で茶の湯ともいわれる。茶道では抹茶まっちゃという、日頃飲む煎茶とは異なる茶を主に使用する。少し普通より大ぶりの茶碗に粉末の抹茶を入れ、湯を注いで茶筅ちゃせん(竹でできた攪拌かくはんする道具)でかき混ぜて、泡立てて飲むのが作法... 続きをみる
2022年5月のブログ記事
-
-
華道(かどう)・生(い)け花(ばな) 華道は 16 世紀頃から盛んになった。またの名を生け花と言う。6 世紀に仏教の僧が仏前に花を捧げたのが始まりだといわれている。自然の花を使って、天(宇宙)、地(地球)、人の 3 要素をバランスよく表現するというのが考え方の基本である。平たい花... 続きをみる
-
-
-
-
日本人の集団帰属意識 日本人が個人より集団を重視する傾向が強いことはアメリカの E・O ライシャワー教授をはじめ多くの研究者によって指摘されてきた。日本人の集団帰属意識は稲作文化の歴史とかかわりがあるとする見方も多くの人によって認められている。水田稲作農 業では... 続きをみる
-
日本人について 国民性 ①日本人が集まると、年齢や社会的地位などの基準により、お互いの序列が意識され、それによって行動様式や言葉遣いも影響を受ける。序列が下なのに、同等のような話し方(ex.「行く?」「ある」などの普通体(‘plain style’)の話し方。)をすると、「... 続きをみる
-
-
本音と建前 本音とは本心で思っていること。建前とは表向きの方針、主義のこと。狭い共同体の中で皆が平和に仲良く暮らさなければならない日本の地理的、歴史的条件が人間関係のあり方に大きく影響を与えた結果、日本人は本音と建前を使い分けるようになったとする説もある。本音を言うと... 続きをみる
-
-
-
-
-
-
-
-
長谷川等伯 松林図屏風 日本人の精神 わび・さび わびやさびは日本の伝統的な芸術である茶道や俳句などが目指す究極の美の境地を 意味している。ふたつとも「わびしさ」や「さびしさ」といった寂寥感が根底に存在していて、簡略さ、簡素さをよしとし、華美を嫌う... 続きをみる
-
日中対照言語学会第46回大会及び日中対照言語研究国際シンポジウムのお知らせ
日中対照言語学会 公式ホームページ http://jccls.jp/ 昨日から今日まで全国大会をしています。興味のある方は、ホームページにアクセスして、参加してください。日本語での発表が半分以上です。日本語と中国語の表現、文法などを対照して研究する学会です。たまにこんなのを聞くのも面... 続きをみる
-
-
「日本人」座談会で柳田国男が語る 柳田国男(昭和53)pp.254-283 奈良朝下半期に日本が新たに得たものは非常に多いが失ったものもたくさんある。それが非常に残念な気がする(p.256)。 日本という国土が何を日本人に与えたかという問題を誰かにやってもらいたい(p.258)。 ... 続きをみる
-
-
-
-
-
-
柳田国男 「家の概念」 柳田国男編(昭和53)pp.33-57 元来、家というものの意義は、単に集まっているという以上に、日本ではもう一つの任務があった。それを百年ごろ前から、世の変遷とともに意識は薄れつつあるが、つまり善悪の基準となるべき古くからの慣行で、こ... 続きをみる
-
柳田国男 「日本人とは」 柳田国男編(昭和53)『日本人 新装版』毎日新聞社 pp.1-13 東洋には古くから大勢という言葉が流行していて、一つの新しい傾向が芽ばえてくると、その価値を確かめもしないうちから遅れずについていこうとしてあせる気持ちがあった(p.1... 続きをみる
-
明治大帝―日本型立憲主義の造形 瀧井一博(2013)『明治国家をつくった人々』講談社現代新書 pp.291-315 穂積八束が4年余りの欧州留学から帰朝し、明治22年、「帝国憲法ノ法理」と題する講演を行い、憲法の更に上にある天皇の意思を強調すると、... 続きをみる
-
東條英機 (1884年(明治17年)12月30日- 1948年(昭和23年)12月23日)
東條英機 (1884年(明治17年)12月30日- 1948年(昭和23年)12月23日) 阿部眞之助(2015)pp.351-386 内容要約 日露戦争の勝利で軍人がもてた時代がある。それをい... 続きをみる
-
西園寺公望 (1849年12月7日(嘉永2年10月23日) - 1940年(昭和15年)11月24日)
西園寺公望 (1849年12月7日(嘉永2年10月23日) - 1940年(昭和15年)11月24日) 阿部眞之助(2015)... 続きをみる
-
桂太郎 (1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日)
桂太郎 (1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日) 阿部眞之助(2015)pp.319-348 内容要約 桂は少年時より長州藩世子のお小姓を勤め、貴人に対する作法を心得ていた(p.321)。学問は彼の柄では... 続きをみる
-
板垣退助 (天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年)7月16日)
板垣退助 (天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年)7月16日) 阿部眞之(2015)pp.287-315 内容要約 思うに板垣は、無駄な長生きをしすぎたもののようだ。華々しい前半生の活動を、意味のない後半生の生存により、塗り消して... 続きをみる
-
-
大久保利通 (1830年9月26日(文政13年8月10日)- 1878年(明治11年)5月14日)
大久保利通 (1830年9月26日(文政13年8月10日)- 1878年(明治11年)5月14日) 阿部眞之助(2015)pp.257-283 内容要約 鹿児島城下甲究川の河畔、加治屋町に西郷と大久保は生を受け、西郷は大久保より長ずること三歳、両者は相許... 続きをみる