年末の京都 風情への郷愁
京都御所 宗像神社の雪景色
長谷川等伯 『松林図屛風』
年末の京都
昨日は西陣のイオン西陣小町にウイスキー等を買いに行った。御所の近くの、拙宅のある烏丸丸太町(からすままるたまち)あたりから上がって(北上して)、下立売(しもだちうり)通りを西へ、葭屋町(よしやちょう)通りを上がっていく。旧山崎闇斎邸跡の石碑は見落とした。今出川通りに出て、西へ。智恵光院(ちえこういん)通りに来て、少し上がるとイオン西陣小町。西陣の方は、小さな家が多く、機織りの音が今でも外で聞こえることがある。西陣織が高級志向になってから寂れが加速化した。以上、グーグル地図でなぞってみたら、道順がわかります。
京都の町もビルばかりになった。相続税の物納で長岡天神の方に移っていくのも、40年前からのことで、死なない、企業が買い占めていく。もしくは金持ちが買って中京にやってくる。医者も蕎麦屋も一般人もいた町中(まちなか)はなくなっていく。観光客は高い店で高いものを食べさせられる。寺社の拝観料が高すぎる。それでも京都に来るのは、古都の「風情」のせいであろう。京都には風情が残っている。それは拝金主義では得られないものへの郷愁であろう。
棒鱈(ぼうだら)もわざわざ水でもどして食べるようなことはしなくなった。茨木屋の蒲鉾も高いので食べなくなったが、今年は買ってみようか。三木鶏卵のだし巻きは油っぽい。京都幻想も多い。観光都市は不健全だ。ハワイをみればわかる。油だらけのにんにく臭いフライが高い値段で売られている。京都は元来、工業都市、職人の町である。鍛冶屋町、衣棚(ころものたな)町、釜座(かまんざ)町などの町名、地名にその名残が残っている。京都は元来、単なる観光都市ではない。そこに衰微、俗化しない秘密がある。
来年は、文学作品の文体の秘密を明らかにするための研究を続けたい。漱石の三部作を中国語で読みつつある。昨日、三条の大垣書店で『三四郎』の原文を買ってきた。新潮文庫のものである。すでに書いた通り、岩波文庫よりずっと安い。爆笑問題の太田は学生時代、神田神保町の三省堂へ行って、新潮文庫ばかり読んでいたと言っていた。ポケットに入るし、安いからだろう。岩波書店に、本を出そうと思って電話したら、受付嬢が、うちは編集委員会で決まった先生に執筆依頼しています、とのこと。流石、天下の岩波書店。世の中の既得権益、既成権威というのはそうしたものなのかと知った次第でした。
本年は9月に始めた、この比較文化のブログを読んでいただきありがとうございました。来年も引き続き比較文化のブログを読んでいただきますよう、時にはコメントをお願いします。和洋中で文化比較をしているうちは、戦争とは無縁だから、このブログにも少しは意味があると思います。今日は最近出た、岡本隆司(2021.11)『中国全史とつなげて学ぶ日本全史』東洋経済新聞社 という本を読みました。中国と韓国では日本批判の内実が違うと書いているのが印象的でした。また、紹介します。乞うご期待。
まだ二日ありますが、皆様のご健康、ご多幸をお祈りします。犬から虎へ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。一所懸命、求道の一年を。
ブログは続きます。
2021.12.29 水