藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 1582.6.2 未明 本能寺の変          2023.11.10

    1582.6.2 未明 本能寺の変 


  ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)


 1582.5.28 戦勝げんかつぎの連歌の会を行い明智光秀はこの句を詠んだ。京都愛宕山は火伏の神をまつる。そこに参拝した光秀は二回、おみくじを引いてやはりゲンをかついでいる。梅雨で一番、雨の多い季節。(旧暦なので一か月、前倒しになる。) 
 この梅雨という雨の多い季節、夜陰に乗じて、雨の中を天皇の命令があり私は決行する(信長暗殺を) 大意はそうしたものであろう。
 「敵は本能寺にあり」という有名な言葉は1827年、頼山陽『日本外史』によってはじめて使われた言葉。今では人口に膾炙している。
 光秀の信長暗殺の理由には諸説ある。
 ①怨恨説  自分がいじめられていた信長への仕返し
 ②野心説  信長にとってかわろうとした
 ③天皇指示説 天皇の指示があった
 ④中世回帰説 和歌にも通じ教養人の光秀は戦国の世の前の中世に回帰しようとした


 天皇指示説は私と同姓の大学教授の説である。もしそれが本当だとしたら、いざ信長暗殺が成功したら、知らんぷりをしたのだから、天皇もなかなかの策士、政治家である。天皇も政治に異常接近した人から、遠ざかっていた人からいろいろである。「万世一系」というのも両統迭立時代もあるし、代代わりの儀式をする金のなかった時代もあるし、近代に作られた都合のいい神話であると言ったら、いいすぎだろうか。宮内庁が陵墓参考地を発掘、調査させないことからも元来、天皇が日本人かどうかも定かではない。桓武天皇の母親は渡来系である。もちろん、天皇制のあることによって、日本人とは何かを考えてきた伝統はあるだろうが。極端な二項対立的な考え方に騙されてはいけない。まずは比較文化的な教養を持つように努力することである。


                           2023.11.10  金曜日
 
                       


 


























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