インドシナ難民向けの日本語教育 2023.11.24
東京・日比谷公園に近い地下飲食街で、ベトナム料理店「イエローバンブー」を経営する
南雅和さん
インドシナ難民向けの日本語教育
ベトナム、カンボジア、ラオスが社会主義に移行した1970年代以降、3か国からの難民が急増し、日本政府は1978年の閣議了解で、定住許可を決め、2005年までに約1万1千人を受け入れた。このインドシナ難民に加え、タイやマレーシアのキャンプのミャンマー難民を「第三国定住難民」として2010年から200人余り迎え入れている。
東京・日比谷公園に近い地下飲食街の店主南雅和(55)はベトナムのサイゴンに生まれ、1983年、母国を脱出し、日本にやってきて、東京・品川に新設された国際救援センターで半年間、日本語教育や生活訓練を受け、教会関係者から奨学金を紹介され、日本の高校、大学に進んだ。建設会社に入り、ベトナムに駐在する。帰国後の2009年、日本人向けにアレンジしていない、ガチベトナム料理を出す店を開いた。現在、東京・日比谷公園に近い地下飲食街で、ベトナム料理店「イエローバンブー」を経営する。
南さんは「半年の日本語教育では、自立は無理」と断言する。「僕は日本国籍取ったけど、日本が難民に冷たいから、恥ずかしい」と言う。
「政府は最初の半年は支援するが、あとは民間のボランティアに丸投げしている。難民をはじめ外国人をどう日本に定着させて戦力にしていくか、設計する法律や専門省庁が必要だ」。インドシナ難民を調査する明治学院大准教授の長谷部美佳氏は言う。
京都新聞 20233.11.11 土 夕刊
ノート
40年以上前、二年ほど中国残留孤児への日本語教育に夜、携わったことがある。主催者がお茶の水の総評会館(当時)に教室をあつらえた。ほとんどゼロからの日本語教育受講者であった。中には文盲の農民もいた。その夫婦にはお引き取り願った。生活保護を受けているほうが、家族で20万円位の収入があるから、なかなか自立は難しい。働き出したら、生活保護は打ち切られる。残留孤児にも自分たちは日本に捨てられたという被害者意識があるから、更にやる場のない怒りに駆られ、社会人となるのは難しくなる。みんな真面目に日本語を勉強していた。あの人たちは今、どうしているのだろうか。妊娠が判明して、みんなの前で真っ赤な顔をしていた女性がいた。文化が違うようだとぼんやりと思った。
インドシナ難民の場合は、更に厳しいだろう。最初の半年は政府は支援するが、それ以上は民間ボランティアの支援というのが実態。行政としては、どこかで線引きをしなければならないから、ケースバイケースでの対応は求めても難しいだろう。行政とはそういうものだ。
南雅和さんは成功者だから、こういう人の献身的な努力によって難民の日本での居場所が徐々に作られていくのであろう。
日本人もボランティアで日本語を教える人もいる。できれば、相手の母語を少しでも勉強していることが望ましい。言葉は力関係だから、繊細な心遣いを持ちたい。
この社会には、いろいろな境遇の人がいる。せめて、それを認識する視野の広さを持ちたい。そして、いろいろな人が楽しく生きていける社会を目指したい。
2023.11.24 金曜日