藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本の「嫌韓」の原点はいつか?        2023.12.4

   

   日本の「嫌韓」の原点はいつか?
  青木理 安田浩一 (2021)『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』講談社+α新書
 日本の「嫌韓」の原点は2002年の小泉・金正日日朝首脳会談である。日本はこの会談で戦後初めて拉致問題の「被害者」の立場になった。戦後の日本は朝鮮半島との関係で植民地支配等のために常に「加害者」としての反省や謝罪を求められてきた。バブル崩壊(1991年)後の日本経済の低迷、少子高齢化、人口減少、韓国・中国の飛躍的な経済発展、GDP規模での中国の日本の凌駕が「嫌韓」に拍車をかけ、初めて日本は「被害者」になったことで、くすぶっていた偏見や差別心が公然と噴き出し、2006年に在特会が出来、ヘイトスピーチが横行するようになった。(本書要約)


  ノート
 常に悪者だった日本が拉致問題では「被害者」になったことによって、日本の「嫌韓」が顕在化したとし、2002年の日朝首脳会談を日本の「嫌韓」の原点とする比較文化学的な斬新な説明である。
 日本の「反中」にしても1989年の天安門事件、1991年(平成3年)のバブル崩壊を経て日本は中国を「脅威」とみなすようになり、1996年(平成8)には中国に親近感を抱かない日本人が親近感を抱く日本人の比率を越え、「反中」意識が強まっていった。現在、「親中」のコメンテーターは一人もテレビに出ていない。根底には、経済発展した中国は「面白くない」という日本人の嫉妬意識がある。
 もう少し比較文化学的に両方から他国を文化的に見ることである。やはり歴史的、比較文化学的に経過を見る視点が必要である。テレビマスコミの報道のムード性には驚くばかりである。ワシントン報道への忖度が基礎にある。
 青木理 安田浩一 (2021)の視点は斬新で、比較文化学的な切り口が素晴らしい。日本自らの自己認識を行っている、たぐいまれな本である。
 青木さんはテレビ向きではない。この人の本を読んだほうがいい。テレビだと、既成左翼政党と同じことを言っているという印象しかない。サンデーモーニングでにこりともしないのがテレビ向きではない。テレビに出るには、もうすこし笑顔の練習をすべきである。もっとも、青木さんは取材能力も高いし、石原慎太郎元東京都知事がいかに公費でぜいたくな海外大名旅行をしていたかなどを暴いている。真のジャーナリストである。テレビは大企業がスポンサーにつくので、どうしても報道に限界があるのは規制左翼政党の言う通りなのかもしれない。


                              2023.12.4  月曜日

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