藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

中島岳志(2023)『秋葉原事件を忘れない』かもがわ出版 2               2023.12.22

   中島岳志(2023)『秋葉原事件を忘れない』かもがわ出版 2  
 加藤智大(ともはる)秋葉原無差別殺傷事件。2008年6月8日午後12時33分。2トントラックで秋葉原交差点に突っ込み、歩行者5人をはね、トラックを降りて、通行人を次々に刺し、死者7人、負傷者10人。2022年死刑執行。
 ロスジェネ世代(1991年のバブル崩壊後の不況世代。)で非正規雇用者。
  2008年1700万人だった非正規雇用者は約400万人増えて、2023年、2100万人を突破し、2008年に34%だった非正規雇用者は今や4割に迫る勢いだ(p.214)。
  人間関係、貯金、企業の福利厚生、相談できる人や頼れる家族などがない状態=「溜めがない」人間が増えている(p.210)。ロスジェネとそれ以降には、あまりにも「溜め」がない(p.211)。
     ノート
 非正規雇用だが、自分は悪くない。では誰が悪いのか考えたときに、この社会全体への怒りか、生きがいのSNSで「なりすまし」した(と勘違いした)者への怒りが噴出する。加藤智大の場合は後者の例だ。京アニ殺人事件の犯人も頭の中のアイデアを「ぬすまれた」と一方的に思い込み、その恨みを晴らすために犯行に及んでいる。そうした思い込みによる犯行は『ダーティハリー』にもある。それをまねたものか。
 京アニ放火殺人事件の犯人青葉真司被告(45)は病院で手厚い看護を受け、「こういう看護を受けていたら、あんなことはやっていなかっただろう」と言っている。「溜め」がなかったのだ。
  競争社会で、勝者となり、その証として金銭を大量に得られるのはごく一部の3%ぐらいの富裕層だから、逆の敗者は、やり場のない怒りを社会や勘違いした相手にぶつける。後者の場合、怒りをぶつける相手は「誰でもよかった」ということになる。
 新自由主義という名の、敗者に厳しい社会が今の社会だ。しかし、敗者にもプライドがある。自分は敗者だと認めないのだ。やり場のない怒りがたまっていく。悪いのは社会か、勘違いした他者ということになる。何かのきっかけでそれが噴出する。
 新しい価値観が生まれて共有されない限り、この社会ではひき続き○○殺人事件が起こり、マスコミの無責任で、無機質な報道が続くだろう。
 中島岳志氏は新自由主義が問題だと言っているいるようだが、「学者のたわごと」という声も聞こえてくる。(中島岳志氏は東京工大教授。)もう、本などほとんどの人間が読まなくなっているのだ。我々の生きる倫理は、半分は、前代から無意識に引き継いだものなのだが、前代がバブル崩壊では「やる場のない怒り」が人間の中心となっていくのだろうか。無差別殺傷事件が増えるはずだ。アメリカはそうなっているではないか。銃で自由を勝ち得てきた国の成り立ちが、銃規制を容易には実現できない。「銃という力が正義」の国なのだ。そんなところは真似てはいけない。日本人よ!
 


                             2023.12.22   金曜日

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