藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1953年  東京物語   小津安二郎   2023.12.25

      

    1953年  東京物語   小津安二郎
 原節子主演の紀子(原の役柄)三部作、1949年「晩春」1951年「麦秋」1953年「東京物語」は小津安二郎の戦後の代表作である。
 それらを戦争との関係で読み解くのは青地伯水京都府立大教授・欧米言語文化ドイツ 「小津安二郎の遺言」(京都新聞 2023.12.12 夕刊「現代のことば」)。「晩春」は妻に先立たれた父親を思う娘と一計を案じて娘を嫁がせる父親の物語で、戦争の影は乏しいが、占領軍や映画界の検問あるいは商業的な要請からかもしれないと青地氏は言う。「麦秋」では紀子の兄が戦死しており、紀子は兄の面影を求めて兄の友人に嫁ぐ。人の心に落とした戦争の影は濃い。「東京物語」では紀子の戦地から帰らぬ昌二がキーパーソンであった。昌二の作った空間が主人公老夫婦と嫁の紀子の人生を揺さぶると青地氏は戦争と作品の関係を述べる。
 小津は最晩年、「晩春」をリメークして1962年「秋刀魚の味」を撮るが、そこにも戦争が色濃く影を落としている。笠智衆演じる旧日本海軍駆逐艦艦長は、加藤大介演じる元水兵に町で偶然出くわし、「戦争に勝ってたら、あなたも私のニューヨークだよ」という元水兵に「負けてよかったじゃないか」とにこやかにつぶやく。「そうかもしれねえな、馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と元水兵。混ぜ返すように軍艦マーチが鳴り響く。小津は当時戦後17年、復興のただなかで多くの人がつらい戦争体験を忘れようと努めて戦争の記憶に蓋をしたからこそ、登場人物のセリフで、あえて自らの肉声をスクリーン上で展開しと青地氏は述べる。軍隊仕込みの上位下達の言説が若い人々の知性を押しつぶす、そんな社会が二度と来ないようにというメッセージは遺言になったと青地氏は言い、それは小津死後60年、戦後78年、いつか来た道を忘れかかっている私たちへ、不幸な歴史を想起させる警鐘であると、文章を締めくくっている。


     ノート
  青地氏の文章はその通りだか、「建前」論だという気もする。
  安倍一強を最も支持したのは若者なのである。そのことを読み解く視点がない。
  若者の支持の根底には歴史を学ぶことを嫌悪する歴史修正主義という社会の風潮が瀰漫 
 している。
  既成左翼の体制批判、戦前批判のワンパターンのものの言いようへの反発もあるだろ
 う。
  そうしたものを払しょくするには、やはり小津三部作を虚心に見ることだと思う。
 最近、BSで放映された「東京物語」では原節子演じる紀子が義理の父親(笠智衆)、母親へ、実の父親、母親のように接する態度が感動的だった。紀子の義理の父母への満面の笑顔がそれを表現していた。紀子の、利害を超えた、真の「家族」を帰らぬ昌二や義理の父母と作りたかったという切々とした思いが伝わって来た。言葉ではなく。
 我々は言葉で感動することもあるが、映画の中の役者の満面の笑みに感動し、それを一生忘れないこともある。「反戦」の思いとは、そうしたところから生じるのであって、理屈っぽい他者批判一辺倒の言葉から生まれてくるものではない。それは政治の不毛と並行関係にある現代の真実である。実のない言葉が政治の世界で飛び交ってどのくらい経つのだろうか。ボブ・ディランの「風に吹かれて」が耳元に流れてくる。


                            2023.12.25   月曜日

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