藤田昌志 比較文化のブログ

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  靖国神社の思想を作ろうとした人      2023.12.29


     靖国神社の思想を作ろうとした人
 A級戦犯の合祀を昭和53年に実行したのは、松平永芳宮司で、松平宮司は越前国福井藩16代藩主、松平春嶽の孫であるが、平泉澄の愛弟子である。松平宮司の考え方は、明らかに平泉の考え方で、靖国神社が日本の歴史を護持する、それによって日本政府を指導する責任があるという考え方である(p.263)。
 平泉澄(ひらいずみ きよし、 1895年〈明治28年〉2月15日 - 1984年〈昭和59年〉2月18日)は昭和前期の東大、国史学の中心的な教授である。皇国史観を明晰に、論理的に作り上げた人物で、終戦の日に東大を辞めている。実家である福井県平泉寺白山神社で神前に奉仕しながら、昭和前後期に強い政治的影響力を持っていた。
 平泉は天皇主権にこだわり、天皇主権こそが守るべきものとされた。平泉は学者として水準が高く、古文書もドイツ語も完璧に読めて、漢文も英語もフランス語も読めた。
 平泉は皇国理念の実現を日本人の生の理想にしようと尽力し、陸軍や海軍に影響力を広げて、敗戦後も昭和59年、89歳で没するまで考えを変えなかった。皇国理念によって戦前の軍部を、戦後の自衛隊を内面から統御し、その迷走や暴走を予防するため、自らの皇国理念を築いていった(p.240)。
 平泉は国内政治的な配慮から戦争指導の拙い実情を表立って語らなかったが、植村氏は戦争指導の拙い実情を語ってほしかったと言う(p.240)。 
 中島岳志(2010)『日本思想という病 なぜこの国は行きづまるのか?』所収 4章 思想史からの昭和 植村和秀 京都産業大教授 


    ノート
 靖国神社は国のために死んだ人間を祀る神社だから、戊辰戦争の賊軍、幕府軍の人間を祀ることはない。その反面、台湾で死んだ台湾人=元日本人を勝手に祀って、遺族の遺骨返還にも頑として応じない。戦前の国家と国家神道の一致こそ、典型的な「政教一致」のまがまがしい在り方である。暴力的軍国主義的国家主義が国家神道と一体になって何をしたか。
 靖国神社の思想の根底に東大教授の平泉澄が皇国思想、天皇主権の思想を論理的に作り上げようとした事実がある。A級戦犯の合祀を昭和53年に実行した松平永芳宮司が平泉澄の愛弟子であることを知ると、さもありなんという思いが湧いてくる。
 国家神道という偏狭なエスノセントイズム(自民族中心主義)の温床をしっかり認識しておきたい。


                              2023.12.29  金曜日

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