藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

  異文化理解と多様性           2024.1.10

   異文化理解と多様性 渋谷節子氏 2023.12.28 京都新聞夕刊 現代のことば
 渋谷氏が言うのには、氏の専門の文化人類学は世界のいろいろな社会や文化の研究をするとともに、世界の人々の多様性を明らかにしてきた学問でもある。現在では、文化の多様性だけでなく、社会の中の多様性にも注目し、障害者やマイノリティーを対象とした研究もしている。
 文化人類学は、異文化理解と密接な関係があり、研究対象の社会に滞在して生活や行動を共にする参与観察の技法を用いて、その社会の構造や文化を理解していく。
 文化人類学では、文化相対主義という概念が大切にされていて、世の中に絶対的な文化はなく、それぞれに異なる文化の一つ一つに相対的な価値があると考えられている。
 多様性の尊重は、時に衝突を引き起こす。多様性のある社会には、多くの人が共有できる理念のようなものが必要なのではないかと渋谷氏は言う。
 「最近、「分断」という言葉も頻繁に聞くが、現在も世界各地では文化や考え方の違いによる対立や衝突が起きている。私たちは、いかにして、様々に異なる人々がお互いを尊重し合いながら協力し、新たな社会を作っていくいくのかという問いに向き合うべき時にいる。」
                                    (内容要約)
   ノート
 渋谷節子氏は福知山公立大学教授・専門は文化人類学。
 文化人類学は胡散臭いところがあり、植民地である非西洋社会の研究や世界各地の先住民及び少数民族の研究を盛んに行っていたが、その研究成果を支配者の道具として利用していたのて゛はないかと本田勝一氏などがかつて噛みついていたことがある。
 渋谷氏の結論も陳腐で、「私たちは、いかにして、様々に異なる人々がお互いを尊重し合いながら協力し、新たな社会を作っていくのかという問いに向き合うべき時にいる。」などは、あんたに言われなくてもわかっているよと言いたくなる。博士号を欧米大学でとっているのだろうが、胡散臭さがある。
 多様性の尊重は、時に衝突を引き起こす。多様性のある社会には、多くの人が共有できる理念のようなものが必要なのではないかと言うのも、その「理念」は、安倍元首相の言っていた「国際社会」「自由で開かれた太平洋」などではないかと思ってしまう。なんだ、結局、先進国七か国の「理念」じゃないかと言いたくなる。
 学問、学者というが、こういう当たり前の結論を言う人は既成左翼の臭いがする。現有政権を批判していたら、それでいいというのと同じ雰囲気を感じるのである。
 もうそういった古い考え方は捨てたほうがいい。今こそ新しい価値観とそれを実現するための方法論が求められている。その基礎には比較文化学的な認識が必要だというのが私の持論です。私の『比較文化学』を読んでください。


                                2024.1.10 水曜日

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