藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

石原慎太郎 1   戦中派保守と戦後派保守   2024.1.12

 

      戦中派保守と戦後派保守 
 中島岳志著(2019)『石原慎太郎』NHK出版を読んでいると、戦中派保守と戦後派保守の違いについて書いてあった。
 戦中派保守とは大東亜戦争の開戦時に二十歳を超えていた人たちで、福田恆在、山本七平、会田雄次、竹山道雄、田中美知太郎といった人たちがいる。彼らはほぼ戦争を批判的に検証している。
 それに対して、戦後派保守は戦争中、幼年期から青年期だった世代の人たちで、三島由紀夫、橋川文三、遠藤周作、石原慎太郎といった人たちがいる。とりわけ、石原慎太郎は「時代と寝た」男と自身も言い、高度経済成長期の象徴的存在として時代を駆け抜け、政治家に転身して13年間、都知事の座に就いていた。
 中島岳志氏は言う。


   若き石原が抱いた焦燥感やニヒリズムを乗り越えようとする意志はよく理解できま 
  す。正義を抱きしめる左派への反発も理解できます。しかし、それが反転して、安易な
  ナショナリズムへと傾斜し、ひたすら「ごっこ」を繰り返す時、そこに戦後の本質が透
  けて見えるように思います。
   その意味において、石原慎太郎はまさに「戦後と寝た男」なのでしょう。(p.139)


 自死した江藤淳は親友、石原慎太郎に「若さの後に来る「成熟」の問題を君は考えなければならない」と言っている。石原が政治家に転身して高得票を得たときにである。
 我々は戦後、「太陽」を求めて、経済成長し、それが30年の不況でもはや「経済的停滞」が常態化した中で、非正規雇用40%の時代を生きている。上の半分は下の40%を馬鹿にし、「あいつらは社会のお荷物だ。あいつらのせいで、経済発展しないし、税金や福祉ばかりに金がかかる」と経済的無能者を心の中でそしる。下の40%はそれを認めず、やり場のない怒りを「誰でもいいからそいつにぶつけたかった」と赤の他人や「なりすました」と勝手に邪推したSNSの他人にぶつける。秋葉原殺傷事件、京アニ殺人事件の犯人はそうした「溜めのない」(=経済的、人間的寄る辺のない)人たちである。そうした人たちのことを他人事とは思わず、少なくとも「切り捨て」ないで、認識し打開策を見つけるようにする自分であり、社会でありたいと思う。そうしない限り、悲惨な事件は後を絶たないだろう。
 石原慎太郎は見た目がいいので、得をしている。
 田中康夫は石原慎太郎を「カワード(臆病)な人だ。」と評した。


                               2024.1.12  金曜日

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