石原慎太郎 2 2024.1.15
石原慎太郎 2 石原慎太郎と橋川文三
1959年の『文學界』10月号の座談会で石原慎太郎は、戦中派の評論家、橋川文三とケンカ寸前の大激論を繰り広げている。
石原 文学は今や「生きている実感」を読み手に対して与えていない。
橋川 戦争のことはどうなんですか?
石原 今になってまだ戦争ばかり書いて、どうなるんですか
石原には、もう戦争は終わっているのに、いつまであなたたちは戦争、戦争といっているのか。今の時代の生の希薄さこそ問わなければならない、そんな切迫感が石原には存在した。
橋川 戦争が終わったのは自明だが、現代の思想の問題としてみると、果たしてどうな
のかという疑問が出てくると思う。
橋川は戦前、民族主義文学の日本浪漫派にのめりこんだ自己を生涯かけて問い続けた人で「現に戦争は継続しているメタフィジックな立場」があると主張した。
それに対して、石原の盟友、江藤淳は「よくわからんね」と冷笑する。
石原 僕もわからないね。戦争が継続しているということが。もっとフィジカルなもん
だろう、戦争は・・・
石原は、橋川のようにいつまでも暗く、戦前・戦中の自分自身を問い続けるなんて不健康だと考えた。(pp.53-55) 中島岳志(2019)『石原慎太郎』NHK出版
ノート
石原慎太郎は1955年に『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞しているが、雑誌掲載時の当該小説のキャッチコピーは「健康な無恥と無倫理の季節! 真の戦後派青年層が生まれた。」というものだった。男性シンボルで障子を破ったり、妊娠させた女性を売り飛ばしたり、現在のLGBTQから見ても、「無倫理」な、程度の低い衝動賛美の小説だった。弟の石原裕次郎の生き方がモデルで、石原慎太郎はむしろそうした生き方ができない臆病な人間だった。石原慎太郎は景気のいいことを言うが、それは自分を目立たせるための方便で、非常に強権主義的な自己中心的な人間であることは、都知事時代の所作からもうかがい知れる。
2024.01.15 月曜日