本居宣長と浄土宗 2024.1.19
本居宣長
本居宣長と浄土宗
本居宣長が天皇崇拝という天皇への絶対帰依の観念を持つに至ったのは、宣長が浄土宗の家に育ち、その影響を強く受けたからだという中島岳志氏の考えがあるが、宣長が浄土宗の家に育ったのは18世紀徳川社会の宗門改めなどの社会的慣習によるもので、別段、宣長が浄土宗を心から信仰していたわけではないという考えもある(斎藤公太「本居宣長と日本主義」)。
中国の皇帝は権力者であったが、日本の天皇は権威者であり、日本人は権力ではなく、権威としての天皇のもとに、「自然」な秩序としての天皇制下に調和をもって存在していたという考えが日本浪漫派などにあるが、それも虚妄なのではないか。
本居宣長と浄土宗を結びつけようとする考えも、そうした「権威」としての天皇の下での、予定調和的な天皇の存在、アプリオリな存在としての天皇の存在を確かなものにするための根拠探し、絶対者への帰依、他力本願の浄土宗を天皇崇拝の根拠、導き手にしたいという、天皇絶対崇拝の根拠を浄土宗に見出したいという中島岳志氏の願望の表れとみることもできる。
学者は分別臭く、理由や根拠を見出したがるが、「理」だけで考えると考え違いをすることも多く、「知」(理性、知性)「情」(感情、気持ち)「意」(意志、思い)の三つで考えることが必要だ。
天皇制は明治近代に伊藤博文らがシュタインらのアドバイスに基づいて、西洋のキリスト教に匹敵するものとして、日本民族主義の精神的支柱としてでっちあげたものであって、明治以前の天皇は、代替わりの儀式もできないほど経済的に困窮していたという事実を客観的に認識すべきである。ここらへんは私も既成左翼的になる。
2024.1.19 金曜日