藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

第三の価値転換   柴田悠    2024.1.26

               柴田 悠
 第三の価値転換   柴田悠 2024.1.4 京都新聞 夕刊 現代のことば
 現生人類は約20万年前の誕生以降、生活するために必要なエネルギーを「狩猟採集」で得て、約1万年前から「農耕牧畜」で、更には産業革命以降、「化石燃料」で得てきた。それぞれの段階の末期で、「エネルギー資源の限界」に直面し、そのたびに価値観を抜本的に転換させてきた。
 「狩猟採集」の末期には、アルタミラ洞窟やラスコーの壁画(約2万年前)や東アジアの土器(約2万年~1万年前)といった表現志向や自然信仰が生まれた。
 「農耕牧畜」の末期にも、物質的に豊かな生活が出来なくなった人々は、精神的に豊かにしようと、仏教、儒教、旧約思想、ギリシャ思想といった普遍主義的思想が生まれた。
 「化石燃料等」の末期には、物質的ではなく精神的に豊かにするための「第三の価値転換」が生まれる。それは普遍主義から個別主義への転換であり、「個人ごとで特性が異なるだけではなく、個人においても環境の変化によって特性が変化する」という事実を踏まえた「個人ごとや個人の中の多様な特性を考慮すべき」という価値観を意味する。この個別主義こそ、人類が初めて手にする価値観になるだろう。柴田悠 京都大教授・社会学
             
     ノート
 「農耕牧畜」「狩猟採取」「化石燃料等」の各末期に物質資源の限界から精神面での深化が生じた。「化石燃料等」の末期には、物質的ではなく精神的に豊かにするための「第三の価値転換」が生まれるというのが本エッセーの趣旨である。
 京都大学の先生には、こうした遠大な思想を述べる人がいる。京大の学問はユニークであることがこうしたところにも表れているようだ。
 内藤湖南も京大東洋史学の鼻祖となる前は、歴史は未来を予測できなければならないと言っていた。唐宋変革期を中国近世、近代の始まりとみる史観は1842年のアヘン戦争を中国近代の始まりとみる歴史観とは、大いに異なる。1842年のアヘン戦争を近代の始まりとみるフェア・バンクの歴史観は、外的要因が中国を近代化させたとするもので、その後、内的要因を中国近代の原動力とする史観によって批判された。内藤史観はその上にある。
 フェア・バンクのようにアヘン戦争で中国を近代化させてやったとは、傲慢この上ない欧米の歴史観である。そういうことを知らないと、1842年 アヘン戦争 中国近代の始まり と暗記するだけの知識しかないことになる。オリエンタリズムまで教えられる中高、大学の歴史の先生はどれだけいるのだろうか。中島岳志氏の本を読み直しているが、中島氏は、こういうことを丹念に調べて書いている。お勧めします。

                            2024.1.26     金曜日

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