藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

生きのびた国家神道    2024.2.19

  生きのびた国家神道 
 1945年以降、国家と神社組織の結びつきは解体されたが、皇室祭祀は維持された。GHQが教団中心的な宗教観(=国家と教会組織は分けなければならない、逆に言えば分ければそれでいいという考え)による判断をしたからだ(p.170)。GHQは皇室祭祀は天皇の私的な事柄で、問題ないと考えた。それはアメリカ的な宗教観に基づく判断(国家と宗教組織を分ければいいという考え)だった。
 しかし、国家神道の主要な構成要素は、皇室祭祀と不可分の天皇崇敬であった(p.170)。
 天皇崇敬には、GHQは手を触れず、統治に支障があると危惧された場合に限って「天皇行幸」などを制限した。


   ノート
 GHQの教団中心的な宗教観(国家と宗教組織を分ければよいという宗教観)が天皇崇敬を生きのびさせたのである。比較文化学的に見れば、それは天皇、および天皇制にとってラッキーなことであった。天皇崇敬という精神的エトスは、戦前も戦後も存続し、天皇崇敬を主要な構成要素とする国家神道も生きのびたからである。
 天皇崇敬が国家神道の主要な構成要素であることは、明晰に認識しておいた方がいい。
 天皇に崇敬の感情を持つこと自体、国家神道存続の温床となる。しかし、天皇崇敬の感情が国民の中に一定程度あることも事実であり、「理性」だけで判断できないところに、この問題の難しさがある。日本人の多くは、「さわらぬ神に祟りなし」という考えのようだ。それに、今の天皇の誠実さに好感を持っている。弟とは対照的に。なんだ、あれ?


                           2024.2.19    月曜日

×

非ログインユーザーとして返信する