藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1900年初頭からの武士道的死生観の受容 2024.3.11

   

    1900年初頭からの武士道的死生観の受容
 日本で「死生観」という語が生みだされ、多くの人々が関心を持つようになったのは1900年代の初頭のことだった。
 武士道から国民道徳論へ発展していくような死生観言説の系譜は加藤咄堂に代表されるが、乃木希典の明治天皇への殉死によって一段と強力な流れとなった。
 この流れは、戦時中の死生観言説の支配的な様式となる。太平洋戦争期までの死生観言説の有力な系譜の一つがここに見られる。
 この武士道的な死生観の系譜は、1998年に開始された井上雄彦のマンガ『バガボンド』にも影響し、死を覚悟して生きる放浪的剣客、宮本武蔵を描いた作品は、2010年5月までに6000万部売れている。『バガボンド』は1935年から1939年にかけて朝日新聞に掲載された、吉川英治の『宮本武蔵』を下敷きにしている。
 2003年には『ラストサムライ』が封切られ、日本で1410万人の観客を動員し、2004年の最高興行成績を上げた。
 2006年から2007年にかけて上映された『硫黄島からの手紙』も武士道的な伝統への称賛を含んだ作品系列に位置づけることができるであろう。
 また、この時期にはナショナル・サッカーチームの呼称に「サムライ」の語が用いられた。(pp.87-88)        島園進(2012)『日本人の死生観を読む』朝日新聞出版


     ノート
 島薗進氏は言う。1900年前後の明治武士道の興隆、アジア太平洋戦争時の武士道の鼓吹、そして2000年代の「サムライ」武士道ゲームには連続性があると言ってよいだろう(p.89)。
  1900年前後は日露戦争へ向けて日本は日清戦争後、力を蓄えていた時期で、1910年の大逆事件後は天皇批判はタブーとなっていった。1912年の明治天皇崩御後の乃木夫妻の殉死はタブーを決定づけた。芥川龍之介らは殉死に冷淡な態度をとったが。
 太平洋戦争時は「武士道と言うは死ぬことと見つけたり」というかつては禁書であった山本常朝の『武士道』がもてはやされ、特攻隊にまでその影響は及ぶ。
 『バガボンド』『ラストサムライ』、サッカーの「サムライ」はおおむね「武士道」の求道性、精神の高潔性、自己犠牲への賛美であろう。
 島薗進氏の言う「連続性」についてはさらに検証する必要があるであろう。


                         2024.3.11   月曜日

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