牛に引かれて善光寺詣り 2024.4.3 水
善光寺
牛に引かれて善光寺詣り
昔、不信人の老婆が川で洗濯をしていると、牛が現れ、牛の角に老婆の布を引っ掛けて走り去ってしまう。老婆が牛を追ってたどり着いたのが、信州・善光寺。疲れ果てた老婆が本堂で寝ていると、夢枕に如来が現れ、それをきっかけに老婆は信仰を深めたという。「ふとした縁を大切にすると、よい結果が訪れる」という意味のことわざ。
善光寺は無宗派の寺。善光寺には、百済の聖明王から日本に贈られた、日本に仏教が根差すきっかけとなった仏像が祀られているから、特定の宗派の仕組みに組み込まれてこなかった。「万人救済」を善光寺の役割としてきた。
月影や 四門四宗も 只一つ 芭蕉 芭蕉が善光寺を訪れた際に詠んだ一句。
日本仏教はほぼすべて「〇〇宗」といった宗門に属す。
最大の宗派は曹洞宗 約1万4600カ寺
次いで浄土宗本願寺派 約1万3000カ寺
真宗大谷派 約8600カ寺
浄土宗 約7000カ寺
日蓮宗 約5100カ寺
仏都・京都には中核となる大本山が36もある。東西本願寺、南禅寺、妙心寺、智積院、東寺など。
京都には曹洞宗寺院が少ない。左京区の詩仙堂はその数少ない曹洞宗寺院の一つ。京都五山(臨済宗)勢力に曹洞宗勢力が洛外へ押し出されたとも考えられる。
京都には、禅、念仏、密教の根本道場が点在し、それが魅力である一方、善光寺のような「信仰の坩堝(るつぼ)」が見当たらないのが、少し残念なところだ。
京都新聞 2024.3.6 木 夕刊 現代のことば 「信仰の坩堝」鵜飼秀徳 ジャーナリスト・僧侶 内容要約 文責 筆者
ノート
面白い内容のエッセーである。宗教の目指すものは一つで、それは山の頂上のようなもので、登り方が異なるだけだ。大体、日本の宗教はそうした考えで、争いはしない。ただ自分の宗派を捨てようとはしない。愛着と伝統・習慣と生活のため。
ただ一派、日蓮宗だけは法華最第一(女人成仏、二乗作仏を言うのは法華経だけであるから、すべてを救罪する法華経は諸経の王だと言う。)で、「法華折伏、破権門理」と他宗批判を行うが、最近、そうしたことは表立って言わないようだ。「折伏」を「対話」と言い換えているところもある。平家納経、ホーホケキョ(法、法華経に通じる)と鳴く鶯を珍重したことなど、無視できない面はある。
このエッセーの面白いのは、善光寺のような「信仰の坩堝」の存在を肯定していることだ。僧侶でジャーナリストという氏の視野の広さのなせるわざだろうか。
2024.4.3 水曜日