藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 京都市京セラ美術館  2024.4.10  水

       


          京都市京セラ美術館
 いつのまにか「京セラ」が名前の真ん中に入ったが、ないほうがしっくりくる。
 寄付をした見返りだろうが、「利他」を座右の銘とした故稲盛さんにしては・・・と思ってしまうのは私だけだろうか。
 京都人はそうした自己主張をしないものなのではないのだろうか。
 京都駅ビル、京都裁判所、そして、この美術館と違和感を持つ。前二つはコンクリートお化け、最後の一つは余計な会社名が気になる。言葉ではなく、技術力、姿で見せるのが本来の京都力だろう。
   京都も時代とともに変化していくが、いい方に変わって行ってもらいたい。
 海外観光客もあまり来てもらわなくてもいいように思う。
 日本人観光客を優先したい。
 観光ビジネスは拝金主義に走るから、望ましいことではない。
 海外ホテル資本、聞いてるか。
 勝新や高倉健の愛したホテルフジタは海外富裕層向けホテルに代わってしまった。
 大文字の送り火をそうした海外富裕層が金を出して見る。景観を金で買ういつものやり方だ。
 世界中の文化遺産にある富裕層向けホテルがそうだろう。
 釈然としない。欧米はおかしい。彼らは支配ー被支配の構造を超えることができない。超える気もない。自分達の政治、経済体制が一番だと思い込んでいる。基本にあるのは、人の欲望を掻きたてて、金儲けするという思想だ。テレビもそう、携帯もそうだ。それが広まると、我々も合わせるしかない。新たな支配ー被支配の構造ができあがっている。
    岡倉天心は「アジアは一つ」と言ったが、それは狂信的国粋主義に利用されたような現人神天皇中心の八紘一宇ではなく、農耕中心の「うるわしのアジア」を瞼に浮かべる、『荘子』「万物斉同」思想に基づく哲学的道教の思想における「一にして多」「多にして一」(中島岳志)の考えを基調とするものだったのではないか。 
 岡倉天心の弟子、横山大観の絵画展がかつて京都市美術館で開催されたが、満員の大盛況だった。京都、日本には横山大観の絵が似合う。過去の優れたものを比較文化学的に再認識していきたい。


                             2024.4.10   水曜日

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