藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

藤原惺窩と徳川家康   上垣外(かみがいと)憲一(二〇一八・二)

上垣外(かみがいと)憲一(二〇一八・二)『鎖国前夜ラプソディ 惺窩と家康の「日本大航海時代」』講談社 講談社選書メチエ 六六九 
 藤原惺窩(せいか)は日本朱子学の創始者とされるが、弟子の林羅山の教条主義とは異なり、「先駆的に朱子学を儒学の様々な流派の一つとして研究したのであって、朱子学を教条として、絶対的なものとして、宗教のように信じたのではなかった」(223―224頁)。惺窩は、朱子学の華夷秩序を認めず、日本、中国、朝鮮、ベトナムは対等の国家であるとした(240頁)。藤原惺窩が朱子学を絶対視しなかったことが、徳川時代の思想全体の異端に対する寛容の態度を生み出し(225頁)、惺窩の弟子、松永尺五、その弟子の木下順庵、そのまた弟子の雨森芳洲は惺窩の理想主義を京都という権力の中心から離れた場所で学び継承していった(211頁)。
 徳川家康と藤原惺窩は西洋文化に対する寛容さで共通するものがあり、外交思想でも、家康の、中国中心の世界秩序を否定する、日本独立路線と、惺窩の、中国に対する日本の文化的、政治的対等の主張は共通するものがある(242頁)。日本独立主義、日本小中華主義は歴史に脈打っている。家康と惺窩の関係は理想主義(惺窩)と現実主義(家康)の対立でもあり、協調でもあった(同)。
 本書は比較文化学的な広い視野の著書であるが、以下のようなところにその特徴がいかんなく表れている。「豊臣秀吉の対明戦争、文禄・慶長の役は明の万暦年間にあたるが、新大陸の銀がヨ―ロッパに流入することで、インフレ―ションいわゆる価格革命が起きるが、市場としてヨ―ロッパ以上の規模を持っていた中国・明においても新大陸の銀と日本からの銀の流入でインフレ、景気の異常昂進が起こる。万暦赤絵に代表される中国陶磁の絵柄が複雑豪華なものになるのは、おそらくこの銀のだぶつき景気に由来している。あるいは商人西門慶の色と欲の行状を描き尽くした『金瓶梅』も銀の大量流入にともなう、万暦年間の不健全な景気の昂進を背景としているといえる」(64ー65頁)。文中の「日本からの銀」とは石見銀山と生野銀山のことで、この二つの銀山を合わせると当時、日本は世界の銀の三分の一を産したといわれる(130頁)。著者の上垣外氏は東大の比較文学比較文化の出身である。そこには学統が感じられる。
 藤原惺窩と林羅山の違いについて、詳しくは、本書をご覧ください。


 2021.3.20 Facebook「比較文化」再録            2021.12.27 月

×

非ログインユーザーとして返信する