藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 日本文化論    「日本文化論」の中に「日本人論」や「日本論」を包摂させるのが合理的かつ現実的

      

 日本文化論
    日本文化論は①他文化との比較による考察②時代の中心国から周辺国が文化を摂取する「仕方」の考察③外来文化の影響が少なかった時期の日本の考察――という3つの考察に分類されるが、①の例としては和辻哲郎『風土』、②の例としては内田樹(2009)『日本辺境論』、③の例としては本居宣長の「大和心」などが挙げられる。
    青木(1999)『「日本文化論」の変容』中公文庫は「「日本人論」(「私はこの論文で一括して「日本文化論」とよんできた」と言う)」と述べ、日本文化論の中に日本人論を包摂させている。「日本人論」は日本に外国籍の人間が多数、在住している現在にはなじまない。また「日本論」は国民国家と親和性が高く、「国家」を超越する考えを持つ者には少し違和感がある。「日本文化論」の中に「日本人論」や「日本論」を包摂させるのが合理的かつ現実的であろう。もちろん既述の「文明」と「文化」の相違という一般的枠組みの中に「日本文化論」もあることを前提としての話である。


 補足ノート
 日本人は世界からどう見られているかを非常に気にする。イラクのクウェート侵攻で協力国に名を載せてもらえなかったことがショックでPKOに参加することを決めた。右顧左眄の国が日本である。もっとも、世界で一番のアメリカへの忖度を最も重んじているから、アジアでは孤児になりやすい。そうにならないように金をばらまいている。アメリカは東アジア共同体構想を一番、警戒しているから、日本もそのことに忖度して、政府の傀儡、洗脳テレビは隣国のことをケチをつけて、政治偏向で報道する。仕組みがわかると、ああ、また、言ってるな、と言うことになる。私は客観的事実を述べているだけです。相手のことをどう思うか、相手がどう思っているか、その経緯はどういうことか、時々述べていきます。テレビ報道は根拠をいいませんから、むやみやたらに信じるのは、アホウです。戦争はフロムの言う「自由からの闘争」によってファシズムが隆盛し、更に他国避難によって起こっていく。


                            2022.8.31      水

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