藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

京都駅ビルのコンクリートビル   滅びゆく日本の美の現れ

 


 

                竜安寺



      京都駅ビルのコンクリートビル   滅びゆく日本の美の現れ
 5、60年ほど前に京都タワーができたときは賛否両論で、話題性があった。今は京都の街になじんで、新幹線で東からくると、最初に出迎えてくれて、京都に来たという実感を最初に持つシンボルであろう。
 現在の京都駅ビルはどうか。今日、話題にすらならないが、ひどいコンクリートの塊である。京都地方裁判所も前のものはコリント様式の優雅な建物であったが、今はわけのわからない幾何学的な寄せ集めのコンクリートビルになってしまった。
 金閣寺もいただけない。キンキラキンのコンクリート的建物である。京都的な建物と言えば神社仏閣であるが、金閣寺の近くの竜安寺は室町時代の禅宗を基礎とする、武士の簡素で質実剛健の気風が今でもうかがえる。竜安寺枯山水は俗化することなく、簡素な形象で我々に何ものかを語りかけている。『花伝書』に曰く「秘すれば花、秘さざれば花にあらず。」を想起する。象徴主義は室町時代に既に存在している。
 ヒロ・ヤマガタの金閣寺を背景とするサイケデリックな絵には幻滅したが、京都は徐々に俗化して、最後に残るのは、神社仏閣の風情だけになってしまうのかもしれない。
 中京区も徐々に観光客向けのホテルと富裕層の建てる一億円以上の邸宅ばかりになってきている。小さな家で営まれていた、簡素でつつましい美的生活は時代の波に飲み込まれつつある。町家 まちや も滅びつつある。


     好花不常开       きれいな花は 常には咲かず
                  好景不常在  絶景は  常にはあらず


  京都はどこへ向かうのか    私は私のいるところで私のできることをするしかない
  一所懸命は日本人の基本的生き方
                          
                            2022.10.17   月曜日

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