藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「は」と「が」と『吾輩は猫である』

 

  「は」と「が」と『吾輩は猫である』
 日本語非母語学習者をいつまでも悩ませるのは、「は」と「が」の使い分けである。「「が」は近くに、「は」は遠くにかかる」と主語廃止論(日本語に西洋語の主語―述語のような形式的な意味での主語はなく、「は」「が」は補語である。補語には第一次補語や第二次補語といった優先順はある。)の三上章氏は言う。確かに「私は田中さんが東京に行ったとき京都にいた。」と言う。
 「は」は「既知」、「が」は「未知」と大野晋氏は言う。確かに「昔、昔、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……」と言う。個々の事例はわかるが、日本語を作文するとなると、一番、日本語非母語学習者に間違いが多いのが「は」と「が」の使い分けである。まず、日本語で書かれた本を10冊ぐらい読んで、「は」と「が」の使用上の感覚を身に着けるように言う。言葉の説明と言うのは一面的で、全面的にはできない。言葉自体が限定性を持っているから。
 「は」は「既知」、「が」は「未知」と大野晋氏は言う。確かに「昔、昔、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……」と言うと述べた。しかし、と翻訳論の大家、柳父章氏は言う。夏目漱石が『吾輩は猫である』を書いた1906年当時、「~は~である」と言う言い方が国家や知識人の間で流行っていた。曰く「天皇は神聖にして犯すべからず」「大日本帝国は~」。「は」の前の部分は元来「未知」であると柳父氏は言う。それを既定のことであるかのように述べるのが「~は~である」と言う形で、その「未知」の「は」の前の部分の意味は徐々に言葉の出現の後で形作られていくと言うのが柳父氏の考えである。カセット効果(明治期の翻訳語はまず何かいいものとして受け入れられ、意味はあとから作られていったという考え。明治期の翻訳語をカセット(宝石箱)になぞらえる。)の援用と言えなくもない。
 こうした考え方を私は比較文化学的と名付けている。将来、こうした学問が中心になることを切望している。本来、研究や学問は自由で楽しいものであるはずだ。それを妨げているのは、権威、権力の奴隷である、肩書だけの「教授(博士)」である。分析だけでなく、総合の時代に我々は生きている。
 1891年、冷戦終結で、世界は平和へ向かうと思ったが、30年後の現在、グローバリゼーションがアメリカナイゼーション、拝金主義の異名でしかないことを目の当たりにしている我々に必要なのは、一方的な見方ではなく、総合的な見方である。戦争は一方的な見方で始まる。異なる意見を「国賊」と呼ぶ時代は再び迎えたくはない。


                          2022.10.19   水曜日

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