藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

立たない「立ち飲み」バル

 

    立たない「立ち飲み」バル
 大阪中央区のフランス料理店で、「立たない「立ち飲み」バル」(店名同じ)が初開催され、訪れた約80人の客が楽しんだ。車いす生活を送る、横断性脊髄炎を5歳から患う女性。お酒が好きで、普通の「立ち飲み」に不便を感じ、「皆がやりたいことをかなえられる社会につなげたい」と思い立ち、5月から働くこの料理店のオーナーの協力で、開催にこぎつけた。(2022.10.25 火 京都新聞夕刊記事 内容要約)


   ノート
 障がい者を個性を持つ人ととらえる思潮が最近ある。きれいごとと言ってしまえばそれまでだが、こうした試みが重なっていけば、主流になっていくことだろう。昔、日本では狂人を神の使いとみる考えがあった。近代とは均質で効率のよい、生産性の高い人間しか人間として認めない歴史なのではないのか。労働価値説より、どれだけ努力したかが価値基準となる世の中はいつやってくるのだろうか。
 昨日、TikTokで弱視障がい者が高層ビルのエスカレーターの中で、現在階を声で知らせてもらえば助かる、一般人もそうではないか、という提案(各階でなくても10階ごとでもいいだろう)があり、なるほどそうだと思った。バリアフリーを障がい者、非障がい者共通の視点から提案していい場合もあるのだなと思った。
 共生社会は結構なことで、経済発展をそろそろ志向せず、適正経済規模で単純再生産を繰り返す社会を目指したほうがいいように思う。これ以上経済発展しても、儲けていい思いをするのは、3パーセントの上の富裕層だけである。4割が非正規雇用の時代というのは、そういう時代である。アメリカナイゼーションが元凶であろう。億ションどころか数億ションを転売して儲けている輩がいる。誰が天誅を下すのか。神のみぞ知る。


  汝 貧しき者よ 汝は幸いなり 救わるべければなり
  汝 富める者よ 汝は幸いか 神は最後に審判を下す 心して待て


                        2022.10.28   金曜日

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