藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

2022年度から始まった「新学習指導要領」の「論理的文章」の学習

 

 2022年度から始まった「新学習指導要領」の「論理的文章」の学習
 (筆者注:一番、国家公務員上級試験でできの悪いのがいく文科省が、)2022年度から始めた「新学習指導要領」の「論理的文章」の学習で「生徒会の規約」や「自治体の広報」「駐車場の契約書」などの「実用文」を「国語」の授業で取り扱うことが加速化され、古典や文学は教えられなくなるようだ。身分に応じた四季折々の挨拶、礼儀作法、証文の書き方などの「型」を、それぞれの人が必要に応じて覚えていたのが、南北朝にさかのぼる「庭訓往来」で、文科省の推進する「論理的文章」は「庭訓往来」の再来にすぎない。(山口謡司(2022)『あ゛ 教科書が教えない日本語』中公新書ラクレ pp.289-291)



  ノート
 中高で古典や文学を勉強しなくなると、京都に旅行して、高瀬川の一の船入りを訪れても、高瀬川が森鴎外の「高瀬船」の舞台で、ユータナジー(安楽死)の問題をテーマにした小説であるという基礎知識も持たず、木屋町界隈で飲んだくれるだけということになるだろう。多くの人にとって、中高の国語の授業での文学、古典の知識は生きていく上での教養として重要である。教養の欠如が拝金至上主義を助長する。少し立ち止まって考えるのは金にはならないが、人生で大切なことだと思う。生活の潤いや豊かさはそうした中から生まれてくる。経済発展はもう無理なのだから、単純再生産に近い道を真剣に模索したほうがいいのかもしれない。出生率低下、人口減少の中で、考えるべき道である。


 「国語」とは、深く感動するもの、そしてそれを時空を超えて伝えていくものなのです。(山口謡司(2022)p.294)



                             2022.11.2   水曜日

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