藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ポリシーということば  2022.12.11 京都新聞朝刊 天眼

   浜矩子 氏


ポリシーということば
 2022.12.11 日 京都新聞朝刊一面トップ 天眼 の浜矩子氏「ポリシーとポリシーの関係」は優れたエッセーである。英語のポリシーと日本語のポリシーは違うということを述べている。前者では「政策」の意味だが、後者では「理念、信条、考え方」という意味であるという。したがって、ポリシーミックスという言葉は日本語では理念を混ぜることによって不純な意味となるが、英語では政策の混合で何ら問題はないという。財政政策と金融政策の混合などを英語ではポリシーミックスと言い、何ら問題のない言葉だが、日本語では違和感があろうと浜氏は述べている。英語には、理念、信条、考え方を表すには、別にコンビクションなどがあるとのことである。浜氏はイギリスの金融会社で働いていた経験があり、現在、同志社大教授。頭が紫色なのでニックネームは「紫頭巾」。
 こうした言葉の問題はつとに柳父章氏が指摘してきたことで、明治以来の和製英語は最初に形ができて、後から独特の日本的な意味が付加されていったというのが柳父氏の考えであり、そのことは現在のカタカナ英語の場合にも時に当てはまると考えられる。「構造」としては同じ型である。構造主義とはそうした考え方をする。
 同様に、同じナショナリズムという言葉でも日本語のなかでの意味が多様で、リバティーもあいまいなところがある。日本人同士でも話がかみ合わないはずだ。英語の意味と日本語訳された日本語の意味。日本語訳された日本語の持つ意味の多様性。「多義」「多様性」という「構造」は同じである。
 また、逆にフェイクやテロリズムは全くの悪として貶義(へんぎ。けなす、ディする意味。)をもって使用されている。本来は、新聞などマスコミがそうした語の使用について解説すべきなのだが、反政府、視聴率、販売率が第一の拝金主義が根本にあるから、彼らに求めても詮無いことである。それに、漢語で書けば、なんとなく権威的でかっこいいと思っているから、つまり頭が悪いので、言っても意味がない。読者が彼らマスコミより一枚上手の存在とならなければ、容易にポピュリズムが幅を利かせて、民主主義は崩壊し、全体主義、国家主義が外敵の存在を強調し、軍事費を増大させていく。外交の不備についての反省はこの10年ない。今まさにそうした状況が具現化しつつある。
                       
                            2022.12.12     月曜日

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