藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

〇〇女王(じょおう)という京都〇〇大日本文化研究所特別教授の「家族」観






     〇〇女王  写真がアップできない 何らかの制限か? 〇〇〇ジョオウ


〇〇女王という京都〇〇大日本文化研究所特別教授の「家族」観
 京都新聞 夕刊 「現代のことば」がまた劣化している。〇〇〇ジョオウは京都〇〇大日本文化研究所特別教授という肩書も十分、胡散臭いが(ロンドンで博士号をとったというが、特別枠が皇族にはあるように思う。昭和天皇の弟は頭がよくないのに京都帝大を卒業している。)、この大学は学生運動をさせないために、右寄りの人間が京都の北のほうに山の中に作った大学である。皇室賛美の傾向があるから、こういう〇〇女王などという人間が「特別教授」となっていると言えば、事情が分かるであろう。
 〇〇女王の「現代のことば」エッセイによると、この〇〇女王には「側衛」そくえい が生まれたときから側にいる。「側衛」とは皇宮警察の護衛官のことである。その「側衛」は家族のような存在で、なかには〇〇女王に「護られる」ことの意味を教えてくれた国士舘大国防部出身の、筋金入りの「国士」である「側衛」がいて、「皇族は存在そのものが大切であり、女王様の代わりはどこにもいない。だから、我々は命を懸けて御護りしなければならないし、そんな大事な仕事をさせてもらっていることを幸せに思っている」と言ったそうである。それを聞いて、女王は「背筋の伸びるような思いがして」、それをきっかけとして「警察の人たちに「この人を護れてよかった」と思ってもらえるような人間にならなければならない」と思うようになったと言う。何か変である。
 そんな「側衛」の「国士」の彼は、担当を離れた今でも、何でも相談したり意見を求めたりする、「信頼できる大切な「家族」の一人」で、血のつながらない家族がたくさんいることを心強く思っている、という文で女王は、この身勝手な文章を終わっている。
 大体、「皇族は存在そのものが大切であり、女王様の代わりはどこにもいない。だから、我々は命を懸けて御護りしなければならない」という個人的な意見を新聞に載せるべきなのか。デスク、しっかりしろ。新聞というのは、社会が右寄りになれば、右寄りの記事を載せる、右顧左眄するゲスマスコミであることがよくわかる。皇族を先験的に「存在そのものが大切」などと考えている日本人は半分もいないだろう。京都新聞、しっかりしろ。最近の内部の賄賂問題はどうなった!
 それに、この〇〇女王は、税金で生きている「お〇い」なのに、国民の幸福をひたすら祈るという皇族の立場がまるで分っていない。今上天皇からはそれが感じられるのに、こういう末端の皇族から天皇制は壊れていくのだろう。皇族には、自分の幸せを優先してニューヨークにトンずらしたのもいるし、その父親(鼻の下が長いのを隠すためか、ひげを生やしている)はぬけぬけと皇族定年制を提案している男である。腹違い説はそんなところから出てくるのだろう。
 天皇、皇族は、基本的に税金で生きている「お〇い」なのだから、そのことを自覚して、ひたすら国民の安寧と世界の平和を祈るべきである。そのことをこの〇〇女王は何もわかっていない。「存在そのものが大切」である「皇族」という特権階級に何らの疑問も持たない、皇族消滅の予兆的存在である。顔からも品位が感じられない。皇族はもうそろそろ終焉が見えてきているのではないか。皇族など日本人の半分はどうでもいいと思っているのに、そのことをマスコミは絶対報道しない。ゲスたるゆえんである。
 差別はある面では血の問題だから、天皇制も前途多難である。保坂正康氏も今上天皇はカラーを出すのが難しいようで、前途多難だと述べている。


                        2023.2.8    水曜日

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