藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

形と意味  柳父章の考え

          

    形と意味  柳父章の考え
  形と意味は恣意的で関係性はないというのが西洋言語学の考えである。西洋はロマンス諸語などは方言の関係だ。西洋語の形はアルファベットで、アルファベット一文字ずつに意味はない。アルファベットの組み合わされた単語はそれ自体、ある地方の方言の意味を表すだけである。フランス語の友達は ami    、スペイン語の友達は  amigo 。
 しかし、中国では違う。漢字は一字、一音、一義で意味を持っている。漢字はまず形である。音は地方によって、さまざまな読み方をしていた。まず漢字があって、その形があって、意味はあとからいろいろと推量される。とりわけ、日本ではそうであり、まず形があって、意味はあとから推量、推断される。「山」という漢字が入ってくると、日本語で「やま」というものだと推量する。推量するのは知識人である。それから、一般人が意味を付加していく。高い山も低い山もその地域に合った形で「山」の意味が推量、推断されていく。
近代なら、日本人インテリがつくった「自由」や「平等」という語がそうして広まっていった。何かいい意味だという感じのことを柳父章は「カセット効果」と呼んでいる。まず、形、それから意味が重層的に作られていく。場合によっては、人によって意味が異なる。「ナショナリズム」などその例だろう。
 ドイツ語では日常語が哲学用語として使われているという人がいるが、それは西洋崇拝の一種だ。西洋は「階級」の生まれたところで、支配階級と一般人の話す言葉は違うし、読む新聞も違う。自分が西洋人のようなふりをして、虎の威を借るキツネとなる人はいつの時代にもいる。もちろん漢語でも虎の威を借りるキツネ的に、「すみません」と言って素直に謝るのが嫌なので、「誠に遺憾に存じます」という政治家は昔からうんざりするほどいる。
 言語は日常語、書き言葉、権威、権力などいろいろな場面で、さまざまな仕方で使われる。亡くなった安倍元首相の「戦略的互恵関係」など、今でも何のことかよくわからない。「自民党をぶっ壊す!」と言って、アメリカの言いなりで郵政民営化した首相もいる。アフラックのCMが多くなった時期だ。最近、そう言えば、みないなあ?あのアヒル。


                            223.2.10     金曜日

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