藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1853年 黒船来航 ~ 1868年 鳥羽・伏見の戦い

 


    1853年 黒船来航 ~ 1868年 鳥羽・伏見の戦い
   1853年6月の黒船来航は捕鯨船の航行のための物資の調達目的か、アメリカの帝国主義植民地競争への参入かは置くとして、当時の日本人には驚天動地の大事件だった。
 黒船は多きなもので、全長80メートルに達した。


  太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん 上等なお茶のブランドと蒸気船と音をかけている)たった四杯で夜も眠れず  狂歌


 ペリーも江戸城に砲撃を向けて、威嚇するつもりは十分あっただろう。石原莞爾は極東軍事裁判で「ペリーをここへ呼べ!」と言った。軍事力で迫ったのは自分たちだろう。真似して何が悪いと言ったところであろう。品はよくない。
 1854年3月、日米和親条約が締結され、1858年には日米修好通商条約を調印。朝廷の許可を得ない条約調印に孝明天皇は烈火のごとく怒り、幕府と朝廷の反目は高まる。尊王攘夷の機運も高まり、同年には安政の大獄が始まる。1859年には、幕府は吉田松陰(30歳)を処刑。
 1860年には3月3日、桜田門外の変が起こり、大老井伊直弼が桜田門外で水戸・薩摩浪士ら18名に殺された。
 1867年10月、大政奉還。12月の王政復古の大号令(宮中クーデター)を経て、1868年1月、鳥羽・伏見の戦いで、徳川慶喜が江戸に遁走したため、幕府側は士気が上がらず、総崩れ。
  
  井伊直弼は幕府反動の中心人物で、安政の大獄で尊王攘夷派、開明派をたくさん処分したため、明治以来、悪者にされていたが、茶人という面があり、一期一会という言葉は、代表作「茶湯一会集」に見える言葉。(京都新聞 2023.1.21 土 夕刊 一面 参照。)
 桜田門外の変はよく映画として題材にされている。「柘榴坂の仇討」は井伊直弼を殺した刺客を見つけ出し、仇討ちをするように命令された彦根藩武士の一生を描いたもので、最近、二回、テレビ放映された。明治維新が成って、かたき討ちが禁止されても仇を見つけてかたき討ちをしようとする姿を中井貴一が演じていたが、ミスキャストのように思う。中井貴一は、雲切仁左衛門のような毅然とした頭目のような役が向いている。花がある役者だから。うらぶれた感じが出ると、みじめさが目立ってしまう。
 「柘榴坂の仇討」では井伊直弼を殺して追われる刺客は阿部寛が演じていた。この役者は「多面性」があり懐が深く、テレビドラマ「結婚できない男」でもこだわりが強く気難しいが根は暖かい男の役を演じていた。映画『テルマエロマエ』でもローマ人を好演していた。LGBTQに人気があると言う。背が非常に高くて、繊細さを演じられるのが人気の秘密なのかもしれない。



                            2023.2.10   金曜日

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