藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

 西郷隆盛と大久保利通

   西郷隆盛と大久保利通


      子孫のために美田を残さず


 西郷隆盛の言葉である。自民党の二世、三世議員に聞かせてやりたい。いつから政治家はこんなに堕落してしまったのだろうか。昔は「井戸塀」政治家という言葉があった。井戸と塀しか残らないという意味である。明治の政治家にはそうした人がいたから、そうした言葉が残っている。今の政治家は儲けすぎ。市会議員でも税込み1300万円ぐらい年収がある。税込み800万円でいいと言ったのは、名古屋市長の河村氏である。みんなから総スカンを食っている。
 西郷隆盛は内村鑑三が『代表的日本人』の中で代表的日本人の一人として取り上げているが、西郷隆盛の無私性と武人としての潔さといったところに内村鑑三は日本人の典型の一つを見出したのだろう。人望も厚かった。西南戦争で、最後は「もうこのへんでよか。」と言って、自刎して果てた。首は敵にとられないように、木の根元に埋めさせた。明治維新の支配層が華美に流れるのを苦々しい思いで見ていた。
 それに対して、西郷と同郷の大久保利通は、冷徹な実務官僚として日本の建設に尽力した。その威圧感から、大久保がやってくると、他の者は沈黙したという。西南戦争の次の年かに、赤坂で馬車に乗って出勤するところを右翼青年に刺殺された。
 今でも、西郷の生まれた鹿児島では大久保はさておき、西郷の悪口は禁句だという。
 NHKの大河ドラマの「せごとん」は何も西郷の本質をとらえていなかった。事実をトレース(後追い)しただけだった。音楽だけが勇壮だった。さすが、なれ合いのエリートNHKである。彼らのような政府御用達放送には、革命児、反逆者西郷を描くのはどだい無理。「どうした!家康」もリアリティ―が感じられない。有村架純の可憐さで何とかもっている。



                        2023.2.13      月曜日

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