藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「日本人」賛美の一側面

   

  
  「日本人」賛美の一側面
 日本人は素晴らしい。外国人は出ていけ。などという輩がいて、ヘイトスピーチと言って、それには眉を顰める日本人も多かった。
 日本、日本人と言っている人たちの中には、何をしてもうまくいかず、大した努力もしないで、金も地位も人並みにないことに気づいていて、それでもどこかでプライド、誇りを持ちたいという連中がいる。彼らは、自分が日本人に生まれたことしか、最後の砦にできない人たちで、ただ日本人に生まれたことだけで、他の国の人たちを下に見たい、哀れなゲスである。
 似たようなゲスがいる。自分の身長が高いことを威張りたいゲス。顔やルックスがいいことを威張りたいゲス。学校の勉強ができることを威張りたいゲス。親が金持ちであることや地位が高いことを威張りたいゲス。あいつには負けるがこいつには負けないといつも人と比べて、不満げな顔をしているゲス。ゲスの花盛りの森。
 そういう連中、ゲスが「差別」の温床である。日本人の半分はそうではないか。もう半分はまともだ。
 比較文化はマウントをするためにするのではない。相手と自分をよく知るためである。
私はよく知らない北朝鮮の文化も知りたい。現在、北朝鮮には選民思想があること、儒教的な血を重んじる伝統があることはわかっている。高句麗は新羅や百済とは異なる文化を持っていることも知っている。自分の娘を後継者にするのは儒教の血の思想もあるだろうが、「独裁者」の裁量だろう。教育すれば、何でもありだ。日本もかつてそうだった。
 戦争は怒り、瞋恚 しんい といった偏った感情がなければできない。それを回避するには、相手も同じ人間であることを知ることである。相手の文化、傾向を知ることである。それは自らを知ることに通じる。優劣をつけない比較によって。その意味で、確かにトルコや中国、朝鮮、ロシアには専制主義の時代があったのは事実だ。皇帝への権力集中はすさまじいものがあった。
 日本人はいつでも一番についていくと批判したのは、『文明の衝突』を書いたハンチントンである。欧州→ドイツ→アメリカと一番についていった。日独伊防共協定もそうした視点から見る必要がある。
 この国はこの78年、アメリカの言うことなら、何でも聞く。アメリカが一番だからだ。アメリカは本当に一番だろうか。日本の拝金主義の蔓延は、アメリカの真似だが、決していいものではない。金儲けできない人間はいらないという四割非正規雇用の社会は、「地獄です」と言う派遣工場労働者、40歳、手取り12万円のTikTokerを生んでいる。本人が明るいのでまだ救いがある。元、作曲家ミュージシャンらしい。


                             2023.2.15   水曜日

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