藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

翻訳について  直訳と意訳

    翻訳について  直訳と意訳
   翻訳とは外国語を母語に訳したり、母語を外国語に訳すことである。最近は母国語とは言わないで、母語という。 mother  tongue   という英語の直訳の影響もあろうが、国と母語は異なるからそう呼ぶのは妥当であろう。スペインのバスク地方ではバスク語というスペイン語とは異なった言葉が話される。日本でも青森弁や鹿児島弁、沖縄弁は標準日本語とは異なる。標準日本語は、NHKの午後7時のニュースで話される言葉が一応の規範になると言われるが、最近は「が行鼻濁音」などにはこだわらなくなったと言うから、標準語と言うのもそれほど厳密なものではない。昨日、久しぶりに「ケンミンショー」を見たら、佐賀県では強めのオノマトペは二回ではなく三回繰り返すとのことだった。例えば、ざあーざあーざあーと雨が降るとか。
 閑話休題(それはさておき)、翻訳というのも外国語を母語に訳すのはまだしも、母語を外国語に訳すのはかなり難しい。外国語を母語に訳すのでも、直訳を中心とするのと、意訳を中心とするのではかなり訳が違う。内容中心の超訳というのも最近はある。
 外国語を母語に訳す場合、直訳は外国語に忠実に訳すことで、外国語中心、外国語を規範とする姿勢が中心である。それに対して、意訳は母語を中心に訳すことで、母語中心、母語にあるものを規範とする姿勢、母語に引き寄せる姿勢が中心である。これは文化の翻訳にも言えることで、前者は異なりを重視し、後者は同じところを重視する。
 ただ、外国語を母語に訳す場合、直訳についてはいろいろ問題が出てくる。数詞をいちいち訳すのかとか、主語をいちいち訳すのかといった問題が出てくるのである。
 「前から人が来る。」と言えば、日本語母語話者は単数の人だと思うが、言語によっては複数の人が来ると思う場合もある。無標 unmarked と有標 marked    の問題である。


                            2023.2.16  木曜日

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