藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ダーティハリー考 「目には目を、歯には歯を」

     

   ダーティハリー考
    各回のあらすじ
 1971 ダーティハリーでは、自己中心の、思い通りにならないとすぐ激怒する変質者の犯人を射殺するハリーが描かれる。
 ダーティハリ― 2 では、社会、天に代わって麻薬や売春の組織を撲滅するために彼ら組織の犯罪者を射殺する警官をハリーが射殺する。ハリーには、現行法の中で生きると言う考えがある。ただし、法を犯した者は容赦なく殺す。
 ダーティハリ― 3 では、過激派犯人を射殺する。過激派に打たれた同僚に「仇をうってやる」と言い、実際、仇を討つ。
 ダーティハリー4 は、レイプ復讐譚。それを結局は肯定するハリー。
 ダーティハリー5  では、真犯人は、監督になりきろうとしていた変質者だった。映画「デッド・プール」の案は監督が自分の夢の中で盗んだと犯人が思い込んでいる監督に仕返しするために殺人をしていると言う真犯人。ハリーと向き合う真犯人。明かりを消して逃げるハリー。最後は、捕鯨用のような大型モリ銃で犯人を射殺するハリー。


   ダーティハリー考
 ルール違反の悪は絶対に許さない。撃って来るなら、「正当防衛」で射殺してやる。アメリカの「正義」と「正当防衛」による銃発射が当然の常識として前提とされているアメリカ映画。ハリーもそれを肯定する。その異常性を問いかけることはしない。この映画を見る者も、その常識に洗脳されていく。ここにアメリカ文化の蔓延の恐ろしさがある。
 ダーティハリー5で、相棒の中国系アメリカ人クアンがカンフーで犯罪者をやっつけるのには救いがある。最低限の生命尊重がある。ただ警官の死亡率は高くなるだろうが。
 基本は復讐譚。「目には目を、歯には歯を」という思想の映画である。クリント・イーストウッドが格好いい(アメリカのとりえは見た目の良さだけ。精神性はない。心のなかは金のことだけ。ほとんどがそう。)ので、アメリカの現実の厳しさ、映画の「きつさ」が前面に出ていない。アメリカは、やられる前にやれという考えに傾いてきている。もともと先住民のインディアンやバッファローを絶滅してきた歴史を持つ国だ。驕れる平家は久しからず。その思想がない。誰が抑えるか。


                             2023.2.18    土曜日



   


               以下、参考資料          お暇なら読んでね。


 1971 米  ダーティハリー  2023.1.14 BS12 pm7:00-9:00
    あらすじ
    サンフランシスコの屋上プールで泳ぐ女性が狙撃されて亡くなる。捜査にあたったのが汚れの仕事をいつも任されるのでダーティハリーという異名のあるハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)である。
 やがて「サソリ」と名乗る犯人から「10万ドルを渡せ。さもないと、市民を殺し続けるる」という脅迫状が届く。少女を誘拐した「サソリ」にハリーは身代金を持って、時間を区切られて、あちこち走り回らされる。
 犯人はハリーに暴行されたと嘘をつき、マスコミはハリーを批判する。犯人は最後にスクールバスジャックをして、ハリーはバスの屋根に飛び乗り、逃げる犯人を追跡し、最後は射殺する。
 ラストシーンで、五つ星の形の警官バッジを遠くへ放り投げて捨てるハリーが映し出される。「やってられるか!」という意思表示に見える。


    ノート
 ハリーの妻は車に乗っているときに、他の車に追突され、何も悪くないのに即死する。ハリーには、理不尽な犯罪への怒りが根底にある。誘拐された少女の命を守ろうと最大限の努力をする。また、ハリーには、犯人と断定した場合は容赦なく射殺するという考えがある。大きなマグナム21が火を吐く。
 アメリカの自由社会が生んだ暗部を描く。犯人は、かっとなると自分を見失ってしまい、人に当たり散らす異常性を持つ。また、酒を買うふりをして酒屋に入り、渡された酒瓶で酒屋主人を殴りつけ、売上金を奪う攻撃性、衝動性を持つ。アメリカにはそうした異常者が日本より数多く存在する。自分と自分の家族を守るために、銃は必要だということになる。
 激しい競争社会のアメリカには、共同体的な他者と一体感を持てる場が必要なのだろう。キリスト教はすでにその力を失っているのだろう。個人が悲鳴を上げて、その怒りが他者へ攻撃的に吐き出される。高度経済成長とともに共同体が失われ、孤立化した個人が悲鳴を上げているのは現今の日本についても言えることである。日本も徐々にアメリカ化している。
 日本はアメリカを真似ていい点と悪い点を明晰に認識すべきである。


ダーティハリ― 2 2023.1.21 土 BA12 pm:7:00-9:25 放映
    あらすじ
 完全武装した警官らしきグループにより射殺事件が起きる。次々と起こる麻薬組織や売春組織の大物に対する射殺事件。
 いつも4人でつるんでいる警察学校出の警官が犯人だった。スビート違反者が金で買収しようとすると射殺する。仲間になれと言われたハリーは「見損なってもらっちゃ困る」と拒否する。
 郵便受けに時限爆弾を仕掛けられるハリー。すんでのところで危機回避する。友人警官は同じ爆弾で殺される。「法律には欠陥がある。それがよくなるまで法律を守るのが俺だ。」とハリー。
 4人に命を狙われるハリーは、逆に4人を血祭りにあげる。黒幕の上司をくだんの時限爆弾を上司の車の中にわからないように置いておいて、爆破させる。「柄にもないことをやるから、そうなるんだ」と爆破された車を見て、言うハリー。
 爆破された車が黒煙を上げるラストシーン。


  ノート
 不正犯罪に対して天に代わって成敗することには反対のハリー。
 「法律がよくなるまで法律を守るのが俺だ」と言うが、ハイジャック犯や不法警察官には厳しい。場合によっては自分の命が危険になったときは、情け容赦なく相手を射殺する。正当防衛にためらいはない。
「正当防衛」がアメリカの基本にある。西部開拓時代以来、そうである。それは生命尊重より上にある。それがアメリカである。「正義」が自分にあると思うと、相手を殺す権利もあると思うのもアメリカ。ベトナム、アフガン、イラク、世界中どこでも行って、武力で「正義」を実行する。アメリカの「正義」とは、自分の存在を脅かすとアメリカが考え、思う存在に対しても振るわれる。餓鬼大将である。


ダーティハリ― 3  2023.1.28 土 pm7:00-8:55
    あらすじ
  ハリーの根性と正義感に一目置く女性警官、ムーア(タイン・デイリ)が登場する。ある日、パトロール中のハリーの相棒、フランク(ジョン・ミッチャム)が過激派グループの事件に巻き込まれて、瀕死の重傷を負う。ハリーは刑事に昇進したムーアとともに大胆で執拗な捜査を開始する。
 ハリーのために銃撃されて犠牲となるムーア。「仇を取ってやる」と言ってハリーはバズーカ砲を撃って、過激派首謀者をぶっ飛ばす。
 人質の市長を救出すると、市長は、それまでのハリーに批判的な態度を一変して「助けてくれたことを必ず表彰する」とハリーに言う。ハリーは無視して、その場を立ち去る。


    ノート
 ハリーの正義感がベースにある。悪い奴はためらわず殺す。自分に「正義」があると思うと、「正当防衛」によって、悪い奴は徹底して撃ち殺すという考えが現れている、アメリカ的な映画。生命の尊重を第一にできないアメリカの現状が描かれている。
  こうした映画を見ていると、そうしたアメリカの価値観に知らず知らずに洗脳されていくだろうなと思う。1976年の公開。私は22歳だった。アメリカ文化は有無を言わせず我々の毛穴から侵入して生きていた。GHQの3S政策を想起する。SEX,SPORTS,SCREEN。アメリカが自覚しているなら、恐ろしい国だ。敬虔なイスラム教徒が眉を顰めるのも理解できる。
 内容としては面白く、映像も息も切らせず展開していくのは見事である。これもアメリカ的である。考える隙を与えない。


   1983 米 ダーティハリー4
  あらすじ
  女性画家のジェニファー・スペンサーは女子大生だった10年前に、田舎町のサンパウロ(架空の町で、サンタクルーズがモデル)で、女友達のレイ・パーキンズに騙され、妹と共に若者の不良グループにレイプされる。それによって妹は精神崩壊し、自らも傷ついていたジェニファーは復讐を誓う。そして現在、サンフランシスコにおいて彼女は、コルト・ディテクティブスペシャルを使い、 犯人の一人であるウィルバーンの股間を撃って殺害する。その後、さらに残りの者も殺すため、サンパウロへと向かう。
     一方、ハリー・キャラハンは相変わらずその強引な捜査によって疎まれていた。更には逆恨みも含めて命を狙われるようになり、それによってハリーの行く先々で事件が起こるとして、上司のドネリーから休養を取るように厳命される。 ハリーはそれを断ったものの、結局、股間を撃たれて殺された男の事件捜査のために、彼の出身地であるサンパウロへ派遣という名目で、 サンフランシスコを離れることとなる。
 サンパウロ到着早々、強盗事件に出くわしたハリーは、街中でカーチェイスと銃撃戦を行い犯人を捕まえる。そのため、同地の警察署長ジャニングスにさっそく疎まれる。間もなく、ジェニファーの2人目の被害者であるクルーガーの死体が発見され手口からハリーは連続殺人と断定するが、ジャニングスはよそ者のハリーを遠ざけようとする。そんな折、ハリーは同僚で親友のホレースから強引に贈られたブルドッグを散歩させている時に、事件の犯人とは知らずジェニファーと出会い面識を得る。その後、ハリーは被害者達が署長室の古い写真に写っていることに気づき、彼らが署長の息子アルビーの友人たちであることを知る。また、レイも自分たちが狙われていることに気づき、仲間に警告を行う。
 ハリーは偶然、カフェでジェニファーと再会する。刑事だと気づいていた彼女は、ハリーの愚痴に対して正義が行われず、悪人が野放しの時代になったと彼に同調し、驚かせる。彼女に興味を持ち会話を楽しむハリーだったが、そのためにハリーは彼女に、まさに彼女が起こしている事件の捜査のためにサンパウロに来たことを話してしまう。
 署長室の写真を手がかりにタイロンの家を訪問するハリーであったが、既に彼はジェニファーに殺された後だった。一方、レイは弟のミック・パーキンズと実家でジェニファーを待ち構え、返り討ちにする算段を立てていた。ジェニファーがまさに彼らの家にやってきた時、ハリーもやってくる。ハリーは自分に襲い掛かってきたレイとミックを殴り返した上で、ミックを連行する。その隙を付いてジェニファーは一人になったレイを襲い、復讐を果たす。ミックを警察署に預けたハリーは、海辺でジェニファーと再会し、そのまま彼女の家でベッドを共にする。 その帰途、ハリーは彼女の車がパーキンズ家に停まっていた不審車であることに気づき、彼女が犯人であると疑う。そして、パーキンズ家に急行し、レイの死体を発見する。
 その頃、ミックはクルーガーの義兄弟であるエディとカールによって釈放され、ハリーとジェニファーへの報復を企てていた。3人はハリーのモーテルで彼を待ち構えていたが、その状況を知らないホレースが来てしまい、3人はホレースを殺害する。 その後、今度はクルーガーの家に来ていたハリーを襲撃して暴行し海へ突き落とすが、その際にハリーは愛用のS&W M29を落としてしまい、海に捨てられてしまう。
 一方、ジェニファーはアルビーを殺害するため署長宅に侵入したが、彼は既に廃人となっていた。そこにジャニングスが現れ、息子が罪の意識に苛まれて自殺未遂を起こしたことや、自分が息子を守ろうとしたことを懺悔し、ミックを法的に制裁することを誓う。ところが、そこにミックが現れ、ジェニファーのコルトを奪った上で、それでジャニングスを殺害し、彼女をかつての同じ場所でレイプしようとして遊園地へ連れ去る。
 遊園地へ来たミックらはジェニファーを襲おうとするが彼女は激しく抵抗し、逃げ出す。逃走劇の後、ミックらは彼女を捕まえることに成功するが、そこに死んだと思われていたハリーが現れ驚く。.44オートマグを手にしたハリーは、エディとカールを苦もなく射殺し、ミックはジェニファーを人質にとって逃走を図る。しかし、最期はハリーに銃撃され、高台から転落してメリーゴーランドのユニコーンの角に突き刺さって死ぬ。
 警察が到着し現場捜査が始まる中、ハリーはジェニファーに対して「殺人容疑で逮捕しなければならない」と告げ、ジェニファーから「レイプ犯を野放しにして、被害者の気持ちは守られないのか」と訴える。そこに現場検証を終えたベネットが現れ、ミックの死体から連続殺人に使われたコルトが見つかったと報告する。一瞬躊躇した後、ハリーはミックが連続殺人の犯人に違いないとし、事件は解決したと宣言する。そしてジェニファーを連れてその場を立ち去る。(このあらすじはウィキペディア閲覧)


   ノート
 レイプ復讐譚である。レイプした者はその罪を死を持ってあがなうべきであるという思想につらぬかれている。ハリーもそれを肯定しているからジェニファーを逮捕しない。基本にあるのは「目には目を、歯には歯を」という考えである。


 1988   米  ダーティハリー 5  BS12 2023.2.11
 シリーズ完結編。ロック・アーティスト、女流映画評論家、テレビショーのホスト、有名人殺人事件が多発。ハリーは相棒の中国系アメリカ人クワンと捜査に乗り出す。そして、容疑者として一人の映画監督が浮かび上がる。彼の製作した映画「デッド・プール dead pool 」の中の殺人ゲーム・リストそのままに殺人が起こっていた。そのリストの最後には、ハリー・キャラハンの名前があった。


  ノート
 最初のシーンで、銃撃されたら、銃撃した奴ら3人を撃ち殺す「目には目を」のハリーが映し出される。
 変死したロック歌手の死を聞いて駆けつけたガールフレンドの女優が泣き崩れる。それに群がり執拗にコメントを求めるテレビ報道関係者に「人の苦しみがわからんのか」とハリーはテレビカメラを取りあげて、放り投げる。
 「ゲームを楽しみたきゃルールを勉強するんだな」とハリーは映画監督に言う。「ルールを守らない奴は殺されてもい方がない」というハリーの思想が現れている。
 真犯人は、監督になりきろうとしていた変質者だった。映画「デッド・プール」の案を自分の夢の中で盗んだ監督に仕返しするために殺人をしていると言う真犯人。
 ハリーと向き合う真犯人。明かりを消して逃げるハリー。最後は、モリ銃で犯人を射殺するハリー。
 ルール違反の悪は絶対に許さない。撃って来るなら、「正当防衛」で射殺してやる。アメリカの「正義」と「正当防衛」による銃発射が当然の常識として前提とされているアメリカ。その異常性を問いかけることはしない。この映画を見る者も、その常識に洗脳されていく。ここにアメリカ文化の蔓延の恐ろしさがある。
 相棒の中国系アメリカ人クアンがカンフーで犯罪者をやっつけるのには救いがある。最低限の生命尊重がある。ただ警官の死亡率は高くなるだろうが。

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