藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1988 米  ダーティハリー 5

 

    1988   米  ダーティハリー 5  BS12    2023.2.11    
    シリーズ完結編。ロック・アーティスト、女流映画評論家、テレビショーのホスト、有名人殺人事件が多発。ハリーは相棒の中国系アメリカ人クワンと捜査に乗り出す。そして、容疑者として一人の映画監督が浮かび上がる。彼の製作した映画「デッド・プール dead pool 」の中の殺人ゲーム・リストそのままに殺人が起こっていた。そのリストの最後には、ハリー・キャラハンの名前があった。


  ノート
 最初のシーンで、銃撃されたら、銃撃した奴ら3人を撃ち殺す「目には目を」のハリーが映し出される。
 変死したロック歌手の死を聞いて駆けつけたガールフレンドの女優が泣き崩れる。それに群がり執拗にコメントを求めるテレビ報道関係者に「人の苦しみがわからんのか」とハリーはテレビカメラを取りあげて、放り投げる。
 「ゲームを楽しみたきゃルールを勉強するんだな」とハリーは映画監督に言う。「ルールを守らない奴は殺されてもい方がない」というハリーの思想が現れている。
 真犯人は、監督になりきろうとしていた変質者だった。映画「デッド・プール」の案を自分の夢の中で盗んだ監督に仕返しするために殺人をしていると言う真犯人。
 ハリーと向き合う真犯人。明かりを消して逃げるハリー。最後は、モリ銃で犯人を射殺するハリー。
 ルール違反の悪は絶対に許さない。撃って来るなら、「正当防衛」で射殺してやる。アメリカの「正義」と「正当防衛」による銃発射が当然の常識として前提とされているアメリカ。その異常性を問いかけることはしない。この映画を見る者も、その常識に洗脳されていく。ここにアメリカ文化の蔓延の恐ろしさがある。
 相棒の中国系アメリカ人クアンがカンフーで犯罪者をやっつけるのには救いがある。最低限の生命尊重がある。ただ警官の死亡率は高くなる。だめだ、こりゃ。


                        2023.2.17    金曜日

×

非ログインユーザーとして返信する