藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「笑うに笑えぬ土産話」 浜矩子 京都新聞 2023.3.5 日曜日 朝刊 天眼


「笑うに笑えぬ土産話」 浜矩子 京都新聞 2023.3.5 日 朝刊 天眼
  岸田文雄首相の1月、欧米歴訪の際のお土産騒動を俎上に上げている。「天眼」は京都新聞、日曜日 朝刊の目玉エッセイ。一面の左上に掲載される。的外れなことを書く、変な「哲学者」や「歌人」もいるが、浜氏のものは正鵠を射ている。「天眼」がなければ、京都新聞は単なる地方紙である。(京都新聞、内部賄賂問題、どうなったあ!)
 浜氏は行く時のお土産帰る時の上司や先輩へのお土産を分けている。明晰である。
 前者の手土産は不可欠で、それは慣例化していて、そのための交通費は経費扱いになると浜氏は考える。役所では、前例があり慣例なら、まず問題にはならない。
 問題は後者の場合で、日本の組織文化の中で、ほぼ公務に近い義務として、出張者に課せられてきた。岸田首相の世代には「義務としてのお土産」感覚はかなり根強いと思われる。義務感覚が強いことが、公用車の利用につながったのかもしれない。苦し紛れに息子をお土産の買いあさりに派遣する行動も理解できると浜氏は言う。
 「土産」は「みやげ」とも「どさん」とも読む。前者は今回、問題になった「旅先で求め帰りに人に贈る」意味だが、後者は「土地の産物」(とちのさんぶつ)の意味である。前者を「求め帰る」ことの強迫観念が首相を今回の行動に追いやったのか。それでは、後者の意味の「土地の土産」(とちのさんぶつ)として何を持ち帰ったのだろうと浜氏は文を結んでいる。皮肉たっぷりの、いい落ちである。


    ノート
 日本の文化的な習慣が絡んでいる。野党の批判は、相変わらず揚げ足取りで、うんざりする。杓子定規な理屈で重箱の隅をほじくる。税金でするな。こうした文化的な見方(慣例とそれへの義務感覚、精神的傾向という見方)ができるのは、さすが浜矩子氏である。
 公と私といってもあいまいな場合があり、私的な「帰る時の上司や先輩へのお土産」に義務感覚があり、それが公と混同され、息子に公用車で「お土産」を買いあさらせたというのが浜氏の読みだ。こうしたことをリークするのは随行のゲスマスコミか。ニュースソースをたいていの場合、明らかにしない。
 マスコミを裁くものがいないので、マスコミを「第四の権力」と言って久しい。何とかならないか。自分は何もしないで、文句を言い解説ばかりしているゲスマスコミを何とかできないか。テレビのコメンテーターもそんなのが多い。「空気」を読める者が生き残れる世界。なんかいやらしいなあ。
 鈴木宗男氏が長男を擁護して、自分の経験から帰る時の上司や先輩へのお土産購入は総理秘書官の仕事の一環として慣例化している、問題なら今後、やめるべきだと言ったので、それ以上大きな問題にはならなかった。さすがである。ゲスマスコミもそれ以上は言わない。こんなことが取り上げられるのは情けないと浜氏は嘆いている。


                             2023.3.9   木曜日

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