藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

山田洋次監督について  2023.3.29  BS3 pm3:07-4:36

 山田洋次監督について  2023.3.29  BS3 pm3:07-4:36「山田洋次の青春 映画の夢   夢の工場」(再)
 この番組の前に 2021 山田洋次監督「キネマの神様」pm1:00-3:06 を放送。かつて映画の助監督をしていて、今はギャンブル狂、サラ金まみれのだめ老人を演じていたが映画撮影中に急死した志村けんの代わりを沢田研二が演じる。その孫に菅田将暉、沢田の妻に宮本信子。娘に寺島しのぶ。友人に小林稔侍。北川景子や永野芽郁も出演する豪華俳優陣で撮った映画「キネマの神様」は驚くほど面白くない。なぜか。沢田研二演じるふてくされたダメ老人以外、みんな善人で、沢田に手を焼く姿が映し出されるだけだから。「かあべえ」での笑福亭鶴瓶演じるダメ男と姉の吉永小百合の場合に似ている。さらには「寅さん」の寅と寅に手を焼く妹のさくら等家族の関係にも似ている。山田洋次はそうした構図が好きらしい。
 「寅さん」では寅のキャラがユーモラスで面白く、ときに寅の人情的振る舞いや言辞に真実があって、観客はハッとして共感を感じる。しかし、鶴瓶の演じる品のないダメ男や沢田の演じるギャンブル狂のダメ男にはそうした共感を呼ぶものがない。すでにそうした存在を時代が許さなくなっていることもある。つまり、山田洋二は古くなってしまったということであろうか。
 山田洋次が古くなっているのは、すでに「学校」や「幸せの黄色いハンカチ」からしてそうで、山田はもはや時代に取り残されているようだ。ただ、寅さんだけは、自由に生きる姿や、時に人情的な振る舞いや言辞に共感を呼ぶキャラが成功して、「土曜の夜は寅さん」は、この四月からBSで何回目かの再放送を行う。浜ちゃんは見なくても寅さんは見るファンは多いだろう。
 BS3 pm3:07-4:36「山田洋次の青春 映画の夢 夢の工場」(再)では、山田の映画人生と回顧が語られる。幼少期をハルピンで過ごした山田は、ロシア正教のてっぺんが玉ねぎのような形をした教会や街を行き交うロシア人の姿にエキゾチックなものを感じた。当時、映画は娯楽で、「笑うもの」であったが、ある日、女中と山本有三原作の映画「路傍の石」を見に行った際に、女中が涙を流して「路傍の石」を見る姿に驚き、「庶民のための映画」に心を揺さぶられる。
 東大卒業後、松竹に入った山田は松竹大船調の中心人物、城戸四郎専務取締役の「庶民を元気づける映画」に感銘を受け、自分もそうした映画を撮ろうと思う。やがて山田は「庶民に勇気を与える笑いの映画」を撮っていくことになる。庶民は理屈でなく、笑いで勇気づけられるからだ。
 山田が松竹に入社した1954年は、「七人の侍」「ゴジラ」「二十四の瞳」が大ヒットした。時代劇アクション、SF、清純悲劇といった娯楽大衆映画が全盛の時代だった。「もはや戦後ではない」といわれ、日本は所得倍増政策もあり、高度経済成長に向かっていく。そうした時代も庶民に勇気を与える笑いのある映画を山田が撮ろうとしたことに関係しているであろう。
 山田の師匠は野村芳太郎。ともに脚本を(1958)「月給13,000円」で書いたことが脚本家としての才能を花開かせた。山田は実力と運の両方ある人である。
 山田洋次監督は穏やかな性格と話し方をする人である。威圧感などはなく、それでいて、自分の「絵」にこだわり、気にいるまで何回も取り直すのは有名。ある意味、理想的な映画監督かもしれない。
 しかし、時代からはずれてしまっているようである。すでに91歳の山田洋次監督。新藤兼人監督のようにならない前に引退したほうがいいのではないだろうか。残酷な言い方だが。人間、引き際が大事である。「寅さん」は永遠に愛され続けるのだから。


                       2023.4.6    木曜日

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